人生の目的 その2
人生の目的とは、何でしょうか。
まずは、自分が置かれたこの世界が、どのようなものであるのかを、探ることです。
こういうことは専門家と呼ばれる人たちに、つい任せてしまいがちになりますが、大切なのは自分で理解するということです。
また、いくら専門家であっても、この世界を全て把握しているわけではありません。
あくまでも、その人の今の視点から見た世界を、理解しているに過ぎないのです。
ですから、専門家の世界観が正しくて、あなたの世界観が間違っている、ということは有り得ません。
科学的な説明ができるから正しくて、そうではないから正しくないというのは、とても偏ったものの見方です。
そもそもこの世界が理解できていないのに、どうして今の科学こそが、絶対的に正しいと言えるのでしょうか。
現代科学が説明している世界の特徴は、全体の特徴のごく一部です。
今の科学で説明できていないことは、いくらでもあります。
それらを非科学的だという言葉で、退けていたのでは、いつまで経っても、科学は進歩しないでしょう。
どんなに科学が進んだように見えても、実際は同じ所をぐるぐる回っているだけです。
それは孫悟空が宇宙の果てまで飛んで行ったつもりが、実際はお釈迦様の手のひらの上にいた、という話と同じです。
この世界を探るのに、必要なものとは何でしょうか。
それは好奇心です。
子供たちは好奇心に従って、どんなものにも興味を向けて、それが何なのかを確かめようとします。
子供たちが理解してる世界とは、学者が考える世界とは違います。
なので、つい子供の考える世界を、大人は軽視しがちになりますが、学者の方が見方が偏っているだけで、子供の方がより正確に世界を見ているのかもしれません。
世界がどのようなものなのか。
それは見る人の視点によって、様々です。
でも、その全てが世界全体の一つの側面を、表しているものです。
ですから、誰かの世界観が正しくて、誰かの世界観がおかしい、ということはありません。
世界の全貌を知るためには、一見矛盾するようなものも含めて、全ての世界観を統合して考える必要があるのです。
目の奥にある網膜には、光を感じる細胞が無数に並んでいます。
その一つ一つは、自分が感じた光の情報を、脳に伝えているだけですが、全体の情報を脳でまとめると、そこに映像が生まれるのです。
それと同じで、私たち一人一人の世界観は、それだけでは世界が何なのかを、知ることはできません。
でも、みんなの世界観を一つにまとめた時、そこに世界がどのようなものであるのかが、見えて来るでしょう。
その世界観に新たな好奇心を引き出された私たちは、もっと大きな世界観を求めて、世界を探求し続けることでしょう。