科学と文学 その5
科学と文学と対比して、それぞれが実は同じものを、異なる視点で見ていただけだと述べて来ました。
でも、これは科学と文学だけに限らず、他の分野についても、同じことが言えるのです。
何故なら、何に注目しようとも、それは世界の一部だからです。
数学はこの時空間の性質を記述しているものです。
つまり、数学とは単なる数字の関係を調べているのではなく、世界というものを、数字という言葉で表現しようとしているのです。
これはとても壮大なロマンであり、ある意味、芸術と言えるでしょう。
数学者はそのロマンに惹かれて、日々研究をしているのです。
しかし、科学にエネルギーを内側から眺める観点が欠けているのと同じで、数学にもその観点が欠如しています。
そこに書かれた数式が、世界を客観的に表現しているだけでなく、実はそこに世界の心が表現されていることに気がつけば、科学の世界全体が大きく変わることでしょう。
空間を外から変化させることができなくても、空間の心に影響を与えることで、空間の状態を変化させることは、可能ではないかと思います。
そのための数式が生み出されれば、反重力やテレポーテーション、あるいはテレパシーなどの技術が、現実に活用できるようになるでしょう。
そのためには、世界にも心があるということを、認めるのが先決です。
さて、私たちは音楽を愛しますし、何かを創り出すことに喜びを感じます。
これは、様々な波長の調和性と、新たな調和した波長の発見を、意味しています。
それは私たちにとって喜びであり、それが私たちにとっての、本来の自然な姿、自然なエネルギー状態なのです。
また、私たちが世界の一部であるということは、世界を構成しているエネルギーも、やはり波長の調和性や、新たな調和した波長の発見を、追い求めているのだと言えるでしょう。
それは安定性と変化を追い求める、今の宇宙の姿であり、様々な法則は、この宇宙の心の動きを捉えようとするものです。
今の宇宙の姿は、宇宙の心が調和を求めた結果であり、今また新たな調和を生み出そうと、この瞬間にも無数の星が誕生していることでしょう。
自然界にあふれる音は、それぞれの歌です。
石や金属がぶつかった時の音も、あれは石や金属が歌ったり叫んだりしているのです。
風にそよぐ木々の枝の音や、砂浜に打ち寄せる波の音、鳥がさえずる中で、ころころとつむぎ続ける川のせせらぎ。
全部、自然が歌っているのです。
だから、人間が聞いていても心地よいのです。
それは調和であり喜びですから、それに身を委ねる人も、その調和の一部となり、喜びの一部となるのです。
それぞれの専門性を追求するのもいいですが、全ては一つであり、違うように見えても、本質は同じなのだと理解できれば、世の中はどれほど楽しいことでしょうか。