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科学と文学 その3

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右を向いている人と、左を向いている人を、イメージして下さい。

それぞれ違う方を向いているように思いますよね。

でも、右を向いている人を左側に、左を向いている人を右側に配置して、二人の間に風船が浮かんでいるとイメージして下さい。

二人は違う方向を向いているようで、実は同じ風船を、互いに反対側から眺めているわけです。

科学と文学とは、このような関係にあるのです。

一見、違う方向を向いているように見えますが、実は見ているものは同じなのです。

違うのは、それぞれの立ち位置です。

人間も含めて、世界に存在するものは、エネルギーで構成されていることは、科学の世界では常識です。

私たちはみんなエネルギーなのです。

また、地球で暮らす私たちは、他の生き物たち同様に、地球のエネルギーを利用させてもらって、存在しています。

私たちの体を構成している細胞は、全て地球上にあった原子で作られています。

目で見ていると、自分と地球を区別したくなりますが、エネルギー的に眺めてみると、私たちは地球の一部です。

地球全体のエネルギーの中の、部分的なエネルギーの集まりであり、流れに過ぎません。

その私たちには、心があります。

心というものは、自分という存在を、内側から認識するものです。

感情や感覚、思考や記憶というものは、心の領域にあります。

これはエネルギーとしての自分を、内側から感じているのです。

そのエネルギーとは、科学で捉えているエネルギーと同じです。

科学は同じエネルギーを、外から眺めているだけなのです。

純粋なる科学的観点から人間の行動を捉えたならば、そこに人間の意識や思考は考慮されません。

社会を構成して、様々な動きを見せる人間を、科学者は何等かのプログラムに応じた、動きをしているに過ぎないと見なすでしょう。

時折予測できない行動を見せるのは、まだそのプログラムが解明できていないだけで、それさえわかれば、人間の行動は全てが予測できると思うはずです。

ところが、実際は一人一人には心があり、それぞれの思考に従って動いています。

その結果、周囲との統一性が取れることもあれば、てんでばらばらということもあるわけです。

同じように、人間以外のエネルギーについても、その内側から感じる心という側面があるはずで、それは地球全体のエネルギーについても、言えることなのです。

人間の心の状態を基準にして、そこに心があるかどうかを判断するのは、正しくありません。

山には山の、海には海の、虫には虫の、魚には魚の、動物には動物の、植物には植物の、それぞれの心が存在します。

それがどのようなものかは、人間には想像ができませんが、エネルギーとして見れば、必ず心の側面があります。

ですから、万物に魂が宿っていると言っても、間違いではありません。

間違いどころか、それこそが真実でしょう。

文学は人間を描いているのですが、それは心を描いているということです。

言い換えれば、文学とは人間を構成しているエネルギーを、内側から眺めて探求しているのです。

一方で、科学が人間を見る場合、その構成エネルギーを外側から眺めて探求します。

ですから、周囲からの影響によるエネルギー変化を、捉えることは得意としますが、内側からの変化を捉えることは苦手です。

逆に、心の側ばかりを見ている人は、体のエネルギー状態の変化が、心に変化を及ぼしているということには、気がつきにくいと言えるでしょう。

両者は違う立場で同じものを見ているのだということを、それぞれの分野の人たちは知るべきでしょう。

それができれば、新たな分野の革命的な学問が、誕生すると思います。