> 悩まれている方へ > 幸せへの道しるべ > 遠慮と思いやり その2

遠慮と思いやり その2

この記事は3で読めます。

不幸があったり、災害などで家を失うなどの状況に置かれた時、自分は笑ってはいけない、楽しんではいけないと、思い込んでしまう人もいます。

悲しむべき時に、笑顔を見せるのは、不謹慎だと考えるため、楽しいことから自分を遠ざけてしまうのです。

うっかり笑ったりすれば、そんな自分を情けなく思うでしょう。

でも、感情は自然に湧いて来るものであり、考えて制御できるものではありません。

また、悲しんでいる人を励ますのは、早く笑顔を取り戻すようにという気持ちがあるからです。

それなのに、早く笑顔を取り戻すと不謹慎だというのは、矛盾しています。

これも気持ちの問題であり、本当に悲しい時には、笑えと言われても笑えません。

それが笑えるのであれば、笑えばいいのです。

それは、その瞬間だけでも、悲しい気持ちが癒えているという証です。

笑うことで、自分が失ったものを、軽く見ていることにはなりません。

悲しみから抜け出したいのに、どうすればいいのかわからず、一人で悲しみに暮れている人がいたら、遠慮しないで、その人を楽しい所へ、引っ張り出してあげればいいのです。

それは相手に対する思いやりです。

本当に悲しんでいるのであれば、誘ったところで出て来ることはありません。

でも、出て来るわけがないよなと、初めから決めつけて誘わないのは間違っています。

それは思いやりではなく、勝手な憶測による遠慮です。

相手を思いやっているつもりが、実は単に遠慮しているだけということは、よくあると思います。

思いやるというのは、相手の状態を確かめながら、相手の心を推し量り、今はどうしてあげるのがいいのかと考えることです。

それで、相手をそっとしておくこともあれば、相手を賑やかな所へ、引っ張り出すということもあります。

つらいことから遠ざけることもあれば、つらいことに一緒に向き合うこともあります。

その時によって、どう動くのかはケースバイケースです。

思いやった結果、今は遠慮しておこうとなるのは、正しい考えです。

これに対して、思いやりではない遠慮というのは、こちらの勝手な憶測や、一般的な風習などで、お決まりのような態度を示すものです。

あるいは、不幸な人に関わりたくないという、気持ちの表れのこともあるでしょう。

思いやりと遠慮は、一見似ています。

でも、それぞれ意味が違います。

思いやりの遠慮もあれば、思いやりのない遠慮もあります。

また、思いやった結果、遠慮する場合もあれば、遠慮しない場合もあります。

理解するべきなのは、遠慮することが、必ずしも思いやりとは限らないということです。