遠慮と思いやり その2
不幸があったり、災害などで家を失うなどの状況に置かれた時、自分は笑ってはいけない、楽しんではいけないと、思い込んでしまう人もいます。
悲しむべき時に、笑顔を見せるのは、不謹慎だと考えるため、楽しいことから自分を遠ざけてしまうのです。
うっかり笑ったりすれば、そんな自分を情けなく思うでしょう。
でも、感情は自然に湧いて来るものであり、考えて制御できるものではありません。
また、悲しんでいる人を励ますのは、早く笑顔を取り戻すようにという気持ちがあるからです。
それなのに、早く笑顔を取り戻すと不謹慎だというのは、矛盾しています。
これも気持ちの問題であり、本当に悲しい時には、笑えと言われても笑えません。
それが笑えるのであれば、笑えばいいのです。
それは、その瞬間だけでも、悲しい気持ちが癒えているという証です。
笑うことで、自分が失ったものを、軽く見ていることにはなりません。
悲しみから抜け出したいのに、どうすればいいのかわからず、一人で悲しみに暮れている人がいたら、遠慮しないで、その人を楽しい所へ、引っ張り出してあげればいいのです。
それは相手に対する思いやりです。
本当に悲しんでいるのであれば、誘ったところで出て来ることはありません。
でも、出て来るわけがないよなと、初めから決めつけて誘わないのは間違っています。
それは思いやりではなく、勝手な憶測による遠慮です。
相手を思いやっているつもりが、実は単に遠慮しているだけということは、よくあると思います。
思いやるというのは、相手の状態を確かめながら、相手の心を推し量り、今はどうしてあげるのがいいのかと考えることです。
それで、相手をそっとしておくこともあれば、相手を賑やかな所へ、引っ張り出すということもあります。
つらいことから遠ざけることもあれば、つらいことに一緒に向き合うこともあります。
その時によって、どう動くのかはケースバイケースです。
思いやった結果、今は遠慮しておこうとなるのは、正しい考えです。
これに対して、思いやりではない遠慮というのは、こちらの勝手な憶測や、一般的な風習などで、お決まりのような態度を示すものです。
あるいは、不幸な人に関わりたくないという、気持ちの表れのこともあるでしょう。
思いやりと遠慮は、一見似ています。
でも、それぞれ意味が違います。
思いやりの遠慮もあれば、思いやりのない遠慮もあります。
また、思いやった結果、遠慮する場合もあれば、遠慮しない場合もあります。
理解するべきなのは、遠慮することが、必ずしも思いやりとは限らないということです。