体の傷と心の傷 その7
体の傷に、白血球では処理しきれないような、異物や多くの菌が入り込んだ時は、病院での治療が必要となります。
もちろん、適切な病院です。
病院を間違えると、かえって傷が悪化してしまい、あとで大変なことになりかねません。
あくまで適切な医師による治療を受けるというのが前提です。
これと同じように、大きく深い心の傷を負ってしまい、そこに自分一人の力では、どうしても取り除けないマイナス思考が、突き刺さっていたとします。
その場合は、専門家というよりも、物の道理をよくわかり、人の気持ちを理解できる人の助言を、仰ぐといいでしょう。
資格があるかどうかは関係ありません。
知性と思いやりを兼ね備えた人であれば、心の傷に食い込んだマイナス思考を、一緒になって取り除いてくれるでしょう。
しかし、これも相手を間違えると、かえって心の傷を押し広げ、ぐちゃぐちゃにされてしまうかもしれません。
ここでもやはり冷静さが求められます。
本当に自分の力になろうとしてくれている人なのか、興味本位や自分の名を売るために近づいている人なのかを、冷静さによって見極める必要があるのです。
また、表面的には傷が癒えたように見えても、中に空洞ができていたり、異物が入り込んだままであれば、あとで不都合が生じるのは、体の傷と同じです。
傷は奥から癒えるものなのです。
それを早く治さなければならないと、中の状況も確かめずに、表面の傷口だけを手早く縫い合わせてしまうと、必ずあとで大問題を引き起こします。
体の傷であれば、中で菌がどんどん増殖し、炎症が悪化します。
受傷時よりも状態は悪くなり、命を落とすこともあるのです。
心に傷を受けた時、社会的に生活が送れるようになると、傷が癒えたと判断されがちですが、本当は癒えていないことも、少なくありません。
社会的生活が送れることと、その人の心のエネルギー状態が、自然な状態に戻ることとは、同じではないのです。
こんな人は、一見よくなって、何事もなく生活しているように見えても、何かのきっかけで、心の奥に押し込まれた心の膿が、爆発的に出て来てしまうことがあります。
もしかしたら、突然自らの命を絶ったり、思いがけない事件を、起こしてしまうかもしれません。
こうならないためには、単純に社会活動ができるようになったかどうかではなく、その人が心の底からの喜びを、得られるようになったどうかを、見極める必要があります。
また、その人の行動基準が、世の中を支配している価値観に、基づいていないかを確かめねばなりません。
自分を合わせる必要がない価値観に、自分を合わせねばならないと信じているうちは、本当に心の傷が癒えることはないでしょう。
そんな価値観から解放されることが、何より大切なのですが、なかなかそこから抜け出せないこともあると思います。
その場合は、恐らく子供の頃に、親や先生、あるいは仲良しだった友だちや、近所の人から言われた言葉が、原因かもしれません。