こだわりを持つ その2
こだわりと言うのは、自分の好みを主張しているわけですね。
言い換えれば、どんな些細なこだわりであっても、それは自己表現なのです。
人は自分の思考に従って、行動しています。
他のことはみんなと同じでも、ここだけは自分を表現させて欲しい、というのがこだわりです。
逆に言えば、こだわっていない部分については、自分を表現していないということですね。
別にどうでもいいよ、という態度なわけです。
機械的に日常の流れに沿って生きるだけで、特に自分を主張したり表現することもなく、何に対しても受け身です。
仕事でこれをやれと言われれば、それをするだけです。
仕事について、自分なりのこだわりがある人は、そのこだわりに従って仕事をしようとするでしょう。
自分のこだわりが、その仕事に合わなければ、その仕事を辞めるだけです。
しかし、何のこだわりもない人は、ただ言われたことをロボットのように行うだけです。
それで自分が楽しいか苦しいのかに関わらず、言われたことに従うのです。
何を食べるかについても、こだわっている人は、どこで何を食べようと、自分のこだわりに応じた物しか口にしません。
でも、何のこだわりもない人は、出された物を食べるだけです。
生き方にこだわりがなければ、みんなと同じような生き方をするだけです。
これが面白いよと言われれば、それをします。
お金がなければ大変だよと言われれば、お金を稼ぐことに必死になります。
あの店はポイントが貯まるよと言われれば、欲しい物がなくても、その店で買い物をします。
人生は競争だと言われれば、どうやって勝ち残ろうかとしますし、うまく行かなければ、自分は負け組だと思ってしまいます。
みんなと同じ流行を追いかけ、投稿されたスマホの記事を読み、インスタグラムに乗せる写真を撮るのに夢中になります。
本人たちは、それも自分のこだわりだと思っているかもしれません。
でも、それが本当にこだわりなのかどうかは、それが本当の自分の心から出て来たものかを、見定める必要があります。
得をしたとか、注目してもらえたとか、他の人より上だと認めてもらえたとか、他人の目や考えを気にしているのであれば、それは本当のこだわりではありません。
競争心や不安を煽られて、うまく世の中を支配している人々の、思惑に乗せられているだけです。
そんな薄っぺらいこだわりの喜びは、一時的であり、心からの満足感や幸福感はありません。
本当の自分の表現であるこだわりは、他人がどう見るかは関係ありません。
他人からどう見られようとも、自分が思ったとおりに生きるということであり、それができれば心の底から幸せだと思います。
カレーにジャガイモを入れることに、こだわってもいいのです。
他人のこだわりを尊重できる人は、他人の目を気にしません。
そんな人が、ジャガイモが入ったカレーを食べたなら、幸せを感じるでしょう。
そして、何故自分がここまでジャガイモが好きなのかと、いろいろ思いを馳せるのです。
それは子供の頃に、ジャガイモの入ったカレーを作ってくれた、優しいお母さんとの想い出かもしれません。
あるいは、ジャガイモという食べ物への、驚きと感謝かもしれません。
また、ジャガイモを発見したり、育ててくれた人たちの苦労を、思いやることもあるでしょう。
他の人のように、ただジャガイモを食べるのではなく、心が満たされることで、その心を満たしてくれているものについて、意識を広げるのです。
それが幸せを感じる理由であり、そういうことが本当のこだわりなのです。