人生大学 その2
どうすれば、教師である自分の声が、聞けるのでしょうか。
それにはまず、学びたいという心構え、学ぼうとする姿勢が、大切です。
普通の学校のように、教師は受講生が、授業中に外を見ていても、注意をしません。
居眠りをしていても、起こそうとはしません。
だからと言って、こいつは落ちこぼれだと決めつけて、見捨てることもありません。
本人がその気になるまで、我慢強く待ち続けます。
声をかけて聞こえなくても、大声で叫んだりもしません。
あなたが耳を傾けた時に、初めて教師である自分の声が、聞こえます。
それは普段、私たちが使っている声ではありません。
ふと思いつく感じで、教師の自分の言葉は、あなたの心に届きます。
ほとんどの人は、それが教師の自分の声だとは、気づきません。
自分で勝手に思いついたと考えるのです。
教師の自分も、受講生の自分も、同じ自分ですから、自分で勝手に思いついたと言っても、間違いではありません。
しかし、その考え方をしているうちは、自分というものを、ちっぽけな存在ととらえがちです。
つまり、低い視点に留まったままでいることが、多いということです。
何かでたまに、高い視点の言葉に気がつくだけで、基本的には低い視点で、物事を見続けます。
そのため、いろんな悩みがついて来ます。
大きな苦しみを受けるかもしれません。
ですから、何かをふと思いついたなら、勝手に思いついたとは考えず、それが教師である自分からの、メッセージなのだと受け止めて下さい。
視点が低い人が、ふと思いつくようなことは、視点が高い人にとっては、当たり前のことなのです。
大切なのは、ふと思いついたことを、自分にとって当たり前のことに、してしまうことです。
それは生徒が教師から教わったことを、理解するのと同じです。
教えられたことが、自分にとって当たり前になったなら、あなたの視点は一段階高くなります。
そうなると、そのレベルに見合ったことを、また思いつくようになるでしょう。
そして、それをまた自分にとって、当たり前のことにするのです。
そうすることで、あなたのレベルは、知らないうちに、どんどん上がって行き、教師である自分に近づいて行きます。
すると、世の中がかつてとは違った風に、見えて来るでしょう。
以前は表面的にしか見ていなかった、様々な出来事について、深い洞察力を持って、眺めることができるようになるのです。
白や黒、正義や悪、というような、単純な色分けで物事を見たりはしません。
自分と異なる存在を、馬鹿にしたりもしませんし、他人と異なる自分を、卑下したりもしません。
違いは個性として受け止め、いろんな存在がいることを、ハーモニーとして見るのです。
いろんな存在が、みんなで調和の歌を歌い、メロディーを奏でるのです。
そして、自分自身もそのハーモニーの一端を、担っていると知り、それを存分に楽しむのです。
誰かに言われてその気になっているのは、本当に学んだことにはなりません。
誰かに言われるということは、ただのきっかけです。
そのきっかけを通して、心の中の教師の声を聞くのです。
それができなければ、わかったつもりでいるだけで、本当にわかったとは言えません。
差別はいけないと、人には教えながら、自分自身が誰かを見下していれば、それは偽物です。
殺人はいけないといいながら、戦争は仕方がないと考えるのは、やはり偽物です。
神を信じると言いながら、神を知ろうとしないのは、これも偽物です。
心の教師の声に従っている人は、このようなことはしません。
他人の声に従うのではなく、自分自身の教師の声に、耳を傾けて下さい。
学びたいという謙虚な姿勢で、悩んでいることを、心の教師に問いかけてみて下さい。
どんな答えであろうとも、素直に受け入れる気持ちで、尋ねてみて下さい。
そうすれば、あなたの心の中に、新たな意識が芽吹くことでしょう。