止まらない銃犯罪

アメリカで銃の乱射事件が続発しています。

同様の事件は、以前から繰り返されていますが、ここ最近は特に頻発している様子です。

これに対して、銃の規制を訴える人たちと、銃の権利を訴える人たちとの間で、議論や衝突が起こっています。

それぞれに言い分はあるようですが、真逆の訴えをする者たちの意見が、一つにまとまることは期待できません。

銃を持った強盗が来た時に、こちらに銃がなければ、どうやって撃退するのか、というのが銃の権利を訴える人の主張です。

それに対して、誰もが銃を持てるようにしているから、銃の乱射事件がなくならないのだというのが、銃の規制を訴える人の主張です。

確かに、銃を持った強盗が来た時に、こちらが素手であれば、殺されてしまうかもしれません。

それでも、実際に銃の乱射事件が頻発している以上、何かの対処をする必要があるでしょう。

ただ、銃を完全に禁止しない限りは、銃を持つ年齢の制限だけでは、犯罪者の平均年齢が上がるだけのような気がします。

では、銃を完全禁止にすれば、犯罪はなくなるのでしょうか。

答えは、なくならない、です。

誰かを殺したいと考える人間は、銃が使えなければ、他の凶器を見つけるだけです。

日本では銃は持てませんから、銃の乱射事件は起こりません。

しかし、包丁や暴力による殺人事件は、数多く起こっています。

今ではインターネットで爆弾の作り方を、知ることができるそうです。

銃が使えなくなれば、個人で爆弾を使って、大量殺人を謀る者が出て来るかもしれません。

結局、この問題は銃そのものにあるのではなく、銃を使いたくなる人間の心にあるわけです。

どうしてその人物が、そんなことをしたくなるのか、という点を、徹底的に調べて対処しなければ、本当の解決には至らないでしょう。

それは、単に個人の環境の問題だとか、個人の心の問題だと考えることではありません。

彼らの心をゆがませてしまった、社会のゆがみを検証することです。

犯罪を犯してしまった者たちが、全く異なる環境で生まれ育っていたならば、また違う道を歩んでいたであろうことは、誰にでもわかるでしょう。

同じ環境にありながら、犯罪を犯す者と、そうでない者がいるのだから、犯罪を犯す者が悪いのだという理屈では、問題の解決には結びつきません。

環境に対して心が弱い者に、どのようなアプローチをするのかで、結果は変わって来ます。

社会を変革するよりも、個人の責任にした方が、楽に思えるのかもしれません。

また、社会体制を変えることで、困ってしまう人がいるのかもしれません。

でも、それは思いやりのないことでしょう。

自分さえよければ、立場の弱い者が、どうなろうと知ったことではない、という考えこそが、多くの社会問題の原因です。

そこに目を向けて、改善して行くことこそが、銃乱射事件に代表されるような、多くの事件の解決につながります。

逆に言えば、そこをやらなければ、決して問題が解決することはないでしょう。