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世界と塗り絵 その2

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世界は塗り絵と同じです。

みんなが同じ世界にいると思うのは、それぞれに手渡された塗り絵の元の絵が、全員同じ物だからです。

同じ絵を手にしているから、どこに何があるとか、誰が何をしていた、などという情報を共有できるのです。

しかし、世界というのは、それだけが要素ではありません。

楽しい世界と思う場合、そこに楽しさという要素が加わっているのです。

苦しい世界という場合は、そこに苦しさという要素が加わっています。

楽しい世界を感じている人は、手にした世界の絵に、楽しさという感情の色を塗っています。

それで、世界は楽しいと認識すると同時に、世界は楽しいと表現しているのです。

苦しい世界を感じている人は、手にした世界の絵に、苦しさという感情の色を塗っています。

それで、世界は苦しいと認識すると同時に、世界は苦しいと表現しているのです。

楽しいとか苦しいとか感じるのには、その基準となるものが必要です。

それには体の感覚も関係して来ます。

体が気持ちよければ、いいなぁと思うでしょうし、体が具合悪ければ、嫌だなぁと思うでしょう。

しかし、この体の感覚でさえも、価値観によって受け止め方が変わります。

心地がいいはずのことであっても、それはやっちゃいけないことだと信じていると、心地がいいのに罪悪感が生まれます。

あとで心地よさは消えても、罪悪感は残ってしまい、それが世界を嫌な色で染めてしまいます。

体がつらい状態にあっても、喜びを感じるようなことがあると、つらさも忘れてしまいます。

そのつらい経験があるからこそ、この喜びがあると受け止めたなら、そのつらさを悪いこととは思わなくなります。

このように、世界をどのように色づけするかは、その人の持つ価値観で決まると言えるのです。

喜びにつながる価値観を持っている人の世界は、大変なことがあったとしても、喜びの色で彩られます。

苦しみにつながる価値観を持っている人の世界は、楽しいはずのことがあっても、苦しみの色で彩られます。

元の世界の絵を、どんな色でどのように彩るのかは、その人の自由です。

たとえ苦しみの色で彩られていたとしても、本人がそれで満足しているのであれば、色を変える必要はありません。

でも、こんな色は本当は嫌なんだと思っているのであれば、色を変えればいいのです。

簡単に変えられないと思う場合は、自分の手持ちの色に対する、こだわりがあるのでしょう。

そのこだわりさえ捨てることができれば、すぐにでも違う色を使うことができます。

でも、まずすることは、自分が持っている世界の塗り絵に、自分がどんな色を塗っているのかに、気がつくことです。