プリズム その2
日本人は日本語でものを考えます。
アメリカ人やイギリス人などは、英語でものを考えます。
中国人は中国語でものを考え、韓国人は韓国語でものを考えます。
英語を日本語に訳す場合、単語や言い回しを同じような日本語に変換します。
しかし、どうしても日本語に訳せないような言葉もありますし、訳しはしたものの、何かちょっと違うんだけどな、ということもあると思います。
それは日本語を英語に訳す時にも生じることです。
それは文化の違いであり、物事の受け止め方の違いがあるからです。
言語的思考とは、大元の意識が脳を介して、プリズムを通った光のように、分散され並べられたものです。
日本人も他の国の人々も、同じ人間ですから、大元の意識は同じ状態にあると思われます。
しかし、それぞれが異なる言語、異なる思考を持っているのは、国や地域によって、脳が持つプリズム機能が違って来るからでしょう。
テレパシーで意思の疎通ができたなら、それはプリズムを通さない、大元の意識の状態でのやり取りになるので、どこの出身かに関係なく、間違いのない情報のやり取りができるでしょう。
しかし、脳のプリズムを通した、それぞれの言語的思考同士で、意思の疎通をしようとした場合、微妙なすれ違いや、理解不能の部分が生じるわけです。
いずれにしても、私たちが普段使っている思考というものは、大概が言語の形を取っています。
頭の中で言葉を使っているつもりがなくても、これこれこうだから、こうなるな、だとしたら、こういうことかな、という風に順序立てて考えるのは、言語的思考です。
脳のプリズムを介していなければ、全ての思考が一塊になっているはずですから、順序立てた思考になるのは、脳のプリズムによって変換された意識ということです。
これはどういうことかと言いますと、普段私たちが自分だと信じている意識は、実は本当の自分ではなく、脳のプリズムを介して作られたものだということです。
いろんな歪みのあるレンズで、誰かをのぞいて見るとしましょう。
レンズを通さないで見えるのが、その人の本当の姿です。
でも、レンズを通してみると、レンズの歪みに応じて、その人の姿が変形して見えるでしょう。
このレンズの存在に気がつかなければ、その歪んだ姿がその人の本当の姿だと、誤解するはずです。
こんな感じで、私たちが考えている自分というものは、実は本当の自分ではないのです。