頭の理解 心の理解 その1
何かを理解するという時、多くの場合、理屈や論理で客観的に理解しようとします。
でも、困っている人や苦しんでいる人などの気持ちを理解する時には、共感という心の理解が必要とされます。
客観的に理解しようとする時、そこには理解するための情報があります。
情報がなければ、理解することができません。
揉め事や争い事などがある場合、それに巻き込まれてしまっては、客観的な判断ができなくなります。
そこで当事者から距離を置き、揉め事や争い事などとは無関係の立場で、客観的にその状況を判断します。
この時に、何故そういう問題が起こったのかという情報を、集める必要があるのですが、その情報の一つとして、当事者たちがどのような想いでいるのか、どんな感情を抱いているのか、ということも含める必要があります。
ただ、これを文章で書いただけの資料では、本当の想いや感情は伝わりません。
判断する人たちが、当事者の身になって、その人たちがどうしてそのような想いや感情を、持つようになったのかを知る必要があります。
これは当事者の主観に対する共感ですが、どのぐらい共感できるかによって、どのような判断材料になるのかは違って来ます。
そこが曖昧と言えば曖昧であり、やはり主観に頼らず、客観的証拠に基づいて判断しなければならない、という考えが強くなるのです。
それでも、争いの被害者を救うのであれば、被害者の気持ちを知らねばなりません。
そうでなければ、被害者の気持ちに沿った支援はできないでしょう。
また、争いを起こす者についても、その者がどうして争うのか、その気持ちを探らなければ、問題の本当の解決はできませんし、似たような争いが繰り返されるのを、防ぐことはできません。
やはり心の理解は必要です。
かと言って、当事者たちの想いにばかり重きを置いてしまうと、具体的な問題解決が遠のいてしまうかもしれません。
当事者たちの言い分が、必ずしも正しいとは限らないからです。
間違った言い分や、歪んだ考え方に、耳を傾けるばかりでは、いつまで経っても争いは続くでしょう。
この場合、客観的な理解が求められますし、それを行うのは心ではなく頭です。
このように、物事を本当に理解しようとすれば、主観と客観の両方の情報を、バランスよく取り入れる必要があるのです。
言い換えれば、頭と心の両方を使って、理解するということです。