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頭の理解 心の理解 その2

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争いや揉め事だけでなく、他の生き物たちのことを理解するにも、やはり頭の理解と心の理解の、両方が必要になります。

そうは言っても、科学中心の世の中では、人間が世界を理解しようとする時に、客観的立場というものが重視されるので、全てを頭で理解しようとします。

でも、それでは本当の理解はできません。

動物に心があるということを、半信半疑の学者がいるのは事実です。

ペットを飼っていたり、動物の世話をする仕事に携わっている人には、動物に心があることは当たり前のことです。

しかし、動物を単なる観察対象、実験対象としか見ていない人にとって、動物に心があるかどうかには関心がありません。

心は科学ではうまく説明できないので、観察や実験の対象外に置かれてしまうのです。

もちろん生き物の行動を研究する学問もあります。

でも、そこでは動物に意識があるということは認めても、その意識とは単なる化学反応による、神経組織の活動という見方をしていることがほとんどでしょう。

ですから、神経組織を持たない植物や細菌類などが、意識そのものを持つわけがないという考え方です。

しかし、生き物も喜びや苦痛を感じるし、それに対してどうするかという意識は、あるはずです。

生き物が何かを知覚する時、学者はその生き物の感覚器官で、どのような化学反応が行われるのかということにしか、目を向けません。

その生き物が、それをどう感じているのか、ということには興味がないのです。

その結果、その生き物には心はないと見なしてしまうわけです。

アリやミツバチの集団が忙しく動き回っていても、その一匹一匹が何かを考えていると思う学者は、少ないでしょう。

みんな、ただ機械的に自分に割り当てられた役目を、果たしているだけだと考えるのです。

一匹のアリや一匹のミツバチに、人生と呼べるようなドラマがあるとは思いません。

コンピューターの画面を、プログラム通りに動いている、ゲームのキャラクターたちと、生きているアリやミツバチたちを、同一視しているのです。

しかし、それは間違っていると私は思います。