嫌なこと その1
嫌なことって、ありますよね。
それは普段からあることかもしれませんし、降って湧いたような思いがけないことかもしれません。
他人から見れば些細なことかもしれませんし、誰が見たって嫌だよねと思うようなことかもしれません。
そんな時には、どうするのでしょうか。
いらいらするのを我慢するのでしょうか。
我慢と言っても、嫌な気持ちを顔に出しながらということもあれば、顔では笑顔を見せながらということもあるでしょう。
いらいらを我慢せず、相手にぶつけることもあるでしょうか。
不平や文句を言って、相手の反応を見ても、相手が態度を変えるかどうかはわかりません。
文句を言って、態度を改めてくれればいいのですが、それでも不愉快な想いは残ります。
文句を言っても、相手が態度を改めなければ、まだわからないのかとばかりに、怒りが増幅されるでしょう。
それが相手との大喧嘩などの争いになることもありますし、場合によったら、傷害事件や殺人事件へと発展してしまうことだってあるのです。
自分の言い分が通ろうが通るまいが、争いになってしまうと、いい気分にはなれません。
かと言って、争いを避けるために、自分に我慢を強いるというのも、つらいものです。
そのまま続けていると、いつかは爆発したり、あるいは病気になったりするでしょう。
嫌なことがある場合、二つの対処法があります。
一つは、自分が置かれた状況や、自分が関わる相手のことを、それまでとは違う視点で眺めてみることです。
物事を理解する時、その基準となる自分の立ち位置があります。
立ち位置を変えることで、理解の内容が変わります。
相手を別の視点で眺めることで、相手への理解ができたなら、嫌なことは嫌なことではなくなるかもしれません。
もう一つの方法は、さっさとその場所、その環境から逃れるということです。
ここは自分の居場所なのに、どうして自分が逃げないといけないのか。
ここは先祖代々受け継いで来た所だから、手放すわけにはいかない。
自分には何の非もないのだから、逃げる理由がない。
いろいろ理由をつけて、その場に留まろうとすることも、少なくないでしょう。
しかし、どんな理由を並べたところで、嫌な気持ちがあるということは、自分が置かれた環境に対して、自分の心が拒絶反応を示しているわけです。
それを無視し続けると、我慢できずに逃げようとした時には、すでに逃げられなくなっているかもしれません。
何かへの執着は、様々なトラブルの元になります。
また、誰が正しくて誰が悪いのか、という考え方も余計なことです。
自分の心に従って、居心地のいい環境を見つけること。
嫌なこととは、そうすることを促してくれている、人生の道しるべでもあるのです。