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何故戦うのか その1

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体には免疫というものがあり、体に侵入して来る細菌やウィルスなどの外敵と戦ったり、癌化してしまった細胞を排除したりして、体の中の環境を一定に保とうとします。

人が争うのも、基本的にはこれと同じ状況が起こっているのです。

争い合う者が個人であれ集団であれ、そこには一つのまとまりを存続しようとする、意識や動きがあります。

それに基づいて、それぞれが自分たちの存在や、自分たちが存在している環境を維持、あるいは拡大すべく、他の者と争うわけです。

道徳的にいいかどうかは別にして、これは己という存在を維持するために、誰にも備わった動きと言えるでしょう。

そうしなければ「自分」や「自分の居場所」を確保し、守ることができないからです。

他の存在と争うことはやめるべきだと言って、体の免疫が機能を停止してしまうと、どうなるでしょうか。

細菌やウィルスは体の中に入りたい放題ですし、体の中にある養分を自由に使い、体に毒となる物質を平気で排出します。

その結果、体は死に至るのです。

医療現場では、敗血症と呼ばれる状態ですね。

体の免疫が戦う力を失って、体中に細菌が広がっている状態です。

また人の体には、毎日癌細胞が生まれていると言われていますが、これを免疫細胞が抑えなければ、どうなるかは誰もがわかると思います。

つまり、ある環境やある存在を維持するためには、どうしても免疫機能や、それに該当する働きが必要となるのです。

そこにいいも悪いもなく、それがこの世界における、自然で当たり前の動きなのです。

それが自然というものであり、自然の一部である人間も、その摂理を知ってか知らずか、他の生き物たちのように、自分を維持するために、邪魔な者たちと争ってしまうのです。

しかし、だからと言って、自分勝手な支配者や権力者たちが、弱い者を自分の配下に置こうとして、相手を痛めつけたり殺害したりすることは、人間としては許されません。

ここで考えてもらいたいのは、自分の環境を維持するために、それを邪魔するものを排除するのは、自然な行動なのに、どうして人間はそれをよしとしないのか、ということです。

人間だって自然の一部なのですから、それが誰であれ、邪魔者を排除するという行動は、理屈においては正当化されるはずです。

しかし、それを正当化できないのは、どうしてなのでしょうか。