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がんが自然に治る生き方 その10

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「どうしても生きたい理由を持つ」

生きるために目的を持つということですね。

それは強い生への執着を生み、生きるための力となります。

もういいや、と生きることをあきらめれば、当然そのようになるでしょう。

私たちは、わざわざこの世界に生まれて来たわけですし、そのための心と体が用意されているのです。

心と体のエネルギーは、生きるために整えられているわけですから、生きるんだという想いを強くすることは、心身のエネルギーに活力を与えることになります。

もういいやと人生をあきらめると、逆に心身のエネルギーの元栓を閉めるようなものですから、エネルギーの活力は失われ、希望どおりの結果を迎えることになるでしょう。

ただ、注意は必要だと思います。

通常であれば、誰だって死にたいとは思いませんし、もっと長生きしたいと思うでしょう。

やりかけていた作業があれば、せめてその作業を終えるまでは、生きていたいと思いますし、来年の桜の花を見るまでは、何が何でも生きていたいと考える人もいるでしょう。

近々産まれる予定の孫の顔が見たいとか、孫の結婚式に出るのが夢だとか、執筆している本を死ぬまでに書き終えたいとか、行ったことがない所へ旅行をしたいとか、生きていたい理由はいろいろあります。

そんな人たちが、がんになったとしても、こんな想いを持ち続けていれば、がんを克服できるのでしょうか。

答えはNOです。

その理由は、誰もがこのような願いを持ちながら、この世を去って行くからです。

とは言っても、私は「生きたい理由」を否定しているのではありません。

要は、どれだけ強い想いで「生きたい理由」を持っているかということです。

死ぬまでにこんなことがしたい、こうなったらいいな、と誰もが願いますが、その願いの強さは人によって違います。

そう願いながらも、心の中では、そうは言っても多分無理かな、と思っている人が大半でしょう。

でも、それではあきらめているのと同じですから、口で何を願おうと、心身のエネルギーは弱る一方です。

何が何でもこうするんだ、死んだってやってみせるぞ、というほどの強い気持ちで臨めば、エネルギーは活力を得て、体が回復する力となると思います。

それでも、やはり自分では意気込んでいるつもりでも、心のどこかで不安を抱いていれば、その分だけエネルギーは弱ってしまいますから、結果的には望みが叶わなくなるかもしれません。

本当に何かを望んだ時、その人の心の中には、一点の不安もありません。

望みを実現するために、できることは何でもやるでしょうし、その間も心の中はわくわく状態です。

うまく行かなければ、うまく行くように工夫するだけのことで、失敗してあきらめるという発想自体がありません。

望んだことが必ず実現できることを知っていますし、それまでの過程を楽しんでいるのです。

また、そうしながら死ねるのならば、本望だと思うでしょう。

死そのものを怖がらず、その時が来れば受け入れるという気持ちで、とにかく頭の中は、実現することで一杯です。

こんな状態の心身のエネルギーは、がんがん活発になっていますし、まさに本来の自分の状態であるわけです。

こんな状態で、がんなどの病気になって死ぬのだとすれば、それこそそれは寿命であり、そこで人生を終えるように、初めから決まっていたというものでしょう。

途中で死んでしまっては、何の意味もないではないかと、怒る人もいるかもしれません。

でも、人生の意味や目的というものは、その人でないとわからないものです。

一見、何かを途中で投げ出すような形で、死を迎えた人がいたとしても、それがその人にとって十分であるのなら、他人がとやかく言うものではありません。

何が本当の完成で、何が本当の完璧なのかは、三次元に生きる人間の頭脳では、理解できないものでしょう。

話を戻しますと、「どうしても生きたい理由を持つ」という表現は、実は不適切だと思います。

わざわざ理由を探して見つけるのは、自然な生き方とは言えません。

自分の魂から伝わる生き方をするという方が、正しい表現でしょう。

何が何でも生きるという気持ちは、ちょっと意気込み過ぎと言いますか、死ぬかもしれないという不安の裏返しのように思えます。

もし今が死ぬ時であるならば、それを受け入れますという気持ちで、自然な生き方を追い求めることこそが、本当の心身のエネルギーの活力になるのだと、私は思います。