がんが自然に治る生き方 その4
「直感に従う」
直感に従う、という言葉は、誰しもわかると思います。
でも、何が直感なのかと言われると、よくわからないかもしれません。
いわゆる勘だと考えると、よく勘が外れたという人には、直感に従うという言葉は、とても曖昧で好い加減なものに、聞こえるでしょう。
でも、当たるかどうかという勘のことではなく、もっと心あるいは体の奥深い所から伝わって来る、どうしてもこうしたいとか、こうしないといけないと感じるようなものが、直感です。
この本にも書かれていますが、病になった体に何が必要なのかは、医師ではなく、体自身がわかっています。
ただ、体は言葉を喋って伝えてくれません。
体が使う言葉とは、感覚です。
たとえば、具合が悪い時に、食欲がなくなるのは、体が今は何も食べないで欲しいと、訴えているのです。
食べるにしても、脂っこい物ではなく、あっさりした物が欲しいとか、酸味のある物がいいなどと感じるのは、体がそう伝えているわけです。
病院の治療が体に合っているのかどうかも、体は伝えてくれています。
その体の声を無視して、医師の指示に従い続けると、体はどんどん衰弱してしまい、却って死期を早めてしまうことにもなりかねません。
自分の体がどうして欲しいのか、その声に耳を傾けることは重要です。
また、直感には体ではなく、心の奥の方から伝わる、天の声のようなものもあります。
明らかに声で聞こえる場合もありますが、大概は何となくそう思ったり感じたりするものです。
ただ、そんな思いがどこから来るのかは、自分ではわかりません。
あれこれ考えて導き出したものではなく、ふと頭に浮かんで来るのです。
それは、虫の知らせと呼ばれるものと、同じと言えるでしょう。
無視し続けていると、取り返しがつかない状況になってしまいます。
さて、この直感ですが、自分の心と体が、一つにつながったエネルギーだと考えてください。
体が病気になっている時、体のエネルギー状態は、ゆがんでいますが、そのゆがみを治して、元の状態に戻ろうとする力が働きます。
軽いゆがみであれば、自然に戻るということになるでしょうが、大きなゆがみとなると、なかなかそうも行きません。
それでも、体はそのゆがみを戻そうとします。
その時の体のエネルギーの動きが、心に伝わった時、私たちは体が何を求めているのかを、知るわけです。
また、心もエネルギーですが、私たちが自分を意識しているのは、全体のエネルギーの一部に過ぎません。
全体を手だとすれば、私たちの意識は、一本の指の先です。
指で何かを触れると、それがどんな物かを、指は感覚で知ります。
それが熱いとか、痛いという感覚につながれば、自分で対象から離れます。
反射としての反応ですね。
でも、熱いとか痛いという感覚がなければ、たとえそこに毒が含まれていても、指は反射的にそこから離れたりはしません。
そして、知らない間に毒に冒されてしまうのです。
しかし、指より上位にある手の意識は、そこに毒があると感知すると、意識的に指を離そうとします。
でも、この指示が指に伝わらなければ、指はいつまでも触れてはならない物に、触れ続けることになります。
この上からの指示を受け取ることも、直感と呼ばれます。
それは、自分自身の上位から伝わるエネルギーの流れであり、そのエネルギーを自分に取り込むことで、私たちは本当の自分と一体になった、行動を取ることができるのです。
逆に、体や心の上位からの声に、耳を貸さずにいることは、エネルギー的には孤立した状態となり、正しい選択や行動を見つけることが、できなくなります。
私たちは、何かと他人任せ、行政任せ、専門家任せの生き方をしてしまいますが、産まれて来た時には、そんな予定ではなかったはずです。
長年生きている間に、周囲の人たちの状況を見て、何でも自分以外のものに任せて生きる、という生き方が当たり前だと思うようになったのです。
しかし、この世界に生まれて来るために、体というものがあるわけですし、どう生きるかということが、上の意識から伝えられています。
直感というものは、産まれながらにあるもので、自然な能力なのです。
動物は人間のように、後付けの理屈で考えませんから、素直に体や心の奥からの指示に従います。
それがいわゆる本能と呼ばれるものです。
親から教わっていなくても、体や心の求めに応じて行動することで、生きて行けるのです。
でも、人間社会では、直感能力を忘れさせられるばかりか、直感に従うなどということをすると、頭がおかしいのではないかと、見られてしまう風潮があります。
直感を軽んじるのではなく、どうして直感を軽んじてしまうのかということを、人々は考えなければなりません。
人々が直感をどのようにとらえようと、エネルギー体として存在している私たちが、直感的にその状態に異変を感じたり、直感的にそれを戻そうと思うのは、自然なことなのです。