がんが自然に治る生き方 その3
「治療法は自分で決める」
がんから劇的に回復した人たちは、医師の言いなりにはならず、自分で治療方法を決めていました。
医師から見れば、みんないい患者には見えないでしょう。
一般的に多くの人は、いい患者であろうとするがために、医師の考えに従って、本当はどうしたいということを、口にすることもできずにいます。
自分は本当はこうしたいと、医師に伝えるには、相当の勇気がいることです。
それができるのは、かなりの強い意志があるということです。
医師の勧める治療法が、必ずしも悪いわけではありません。
しかし、マニュアル的に物事を考える医師が、多いのも事実ですから、マニュアルから外れるような治療や暮らし方を、頭から否定する医師も少なくないと思います。
そんな医師に当たってしまった場合、自分の命が懸かっているにもかかわらず、また、医師の勧める治療方法が、よくないと感じているにもかかわらず、そこから逃れられないのは悲劇でしょう。
前方に大きな壁があるのがわかっているのに、そこへ向かって車のアクセルを全開させろと、言われているようなものです。
結局は、生きるのも死ぬのも患者であり、医師ではありません。
責任も結果も全て患者にのしかかって来るのに、その患者に主導権が与えられないのは不当です。
また、それを要求しようとしない患者も、絶対に生きてやるという強い意志が、欠けていると言えるでしょう。
自分は素人で、相手は専門家だから、自分の言い分など通せるわけがない、と考えてしまうのでしょうが、専門家が全てをわかっているのではないのです。
専門家が100%正しいのであれば、専門家の指示に従ったがん患者のほとんどは、完治していないといけません。
ところが、実際はそうではありません。
専門家と言えども、知らないことは知らないのです。
それに、自分が知らない所に問題解決の鍵があると、考えられない専門家は、患者を治すことよりも、自分の権威を守ることを重視します。
そうは言っても、専門家を自称する人たちを相手に、治療法を自分で決めると言うのであれば、当然、それなりの勉強をして、知識や情報を得る必要があるでしょう。
それは面倒くさい、そんなのは無理、と思うのは、そこで人生を捨てたということです。
自分の人生を生きるのに、面倒くさいとか無理だと思うこと自体が、そもそも病気の原因になり得ることです。
つまり、生きる気力に欠けているわけです。
それは無力感と言うこともできますが、この無力感が免疫力を低下させるという、研究結果もあるそうです。
免疫力とは体内環境を保つためのものです。
菌やウィルスなど異物が侵入すれば、それを排除しようと働きますし、自らの細胞ががん化した場合にも、これを排除しようとします。
全ては自らの体内環境を、あるべき状態に維持するためです。
ところが、心が無気力であるということは、何でもかんでも他人任せ、世の中の状況任せということです。
心のあり方が、体の状態に影響を与えるとするならば、無気力な心というものは、体の状態を維持しようとする免疫機能に対して、ストップをかけていると言えるでしょう。
外敵が侵入して来ても、がん細胞が発生しても、しょうがないよと免疫細胞に囁いているようなものです。
それに対して、自分で治療法を決めるという意思の強さは、自分を維持しようという強い力となるでしょう。
当然、免疫細胞にもそのように働きかけることと思われます。
エネルギー的に言えば、自浄作用を起こそうとする動きですね。
ただ、自分で決めれば、それでいいということではありません。
自分が選ぶ治療法が、間違ったものであれば、当然、そのような結果をもたらします。
たとえば、病院への不信ということだけを理由にして、他の流行りの治療に飛びついたりするのは、自分で決めているとは言えません。
流行りに乗っかっただけのことです。
結果的にも治療につながらず、自分で決めたつもりだったのに、最悪の結果を迎えるということに、なる可能性があるでしょう。
誰かがこう言ったからとか、他の人はこうしているから、という理由だけで選ぶのは、他人が決めたことに従うのと同じです。
医師の指示を拒んだとしても、結局は同じことなのです。
本当に自分で考えて納得し、どんな結果が出ようと、それを受け止めるだけの、責任と覚悟を持つ気持ちが大切でしょう。
それは自分を信じるということでもあり、本来の自分でいようという姿勢です。
選ぶ治療法が大切なのはもちろんですが、この姿勢そのものが、自分のエネルギーを本来の状態に、戻そうとする力となります。
それは自分の人生を、自分の手に取り戻すということでもあるのです。