持てる物は限られる その2
人が本当に持てる物は限られます。
死んでしまえば、あの世に持って行ける物はありません。
持って行けるのは、心に残るものだけです。
そう考えると、手元に置く物というのは、心を豊かにしてくれる物がいいわけです。
どこかに仕舞い込んでしまうような物や、埃をかぶったままのような物は、心を豊かにするのに役立ってはいないでしょう。
そういう物はさっさと処分して、手元をすっきりさせておくのがいいと思います。
また、今後手に入れる物についても、本当にそれが自分の心を豊かにしてくれるのか、そういう使い方をできるのか、よく考えておくべきでしょう。
ところで、人が手に入れるものとは、何も形のある物体とは限りません。
今は情報社会と呼ばれるほど、巷には多くの情報があふれています。
どれがよくてどれが悪いのか、どれが本物でどれが偽物なのか、どれが必要でどれが不要なのか、見定めるのは容易ではありません。
だからと言って、何も考えずにいろんな情報を取り込んでしまうと、情報に振り回されてしまって、わけがわからなくなってしまいます。
流れて来た情報で右往左往するのは、自分では何も考えていないということです。
考えることをやめてしまい、ただ情報に従って動いているだけなのです。
そうなると情報がなければ動けませんし、矛盾する情報があると混乱してしまいます。
結局、大切なのは自分で考えるとういことです。
情報を選択できるだけの思考能力、判断能力を持たなければなりません。
でも、その基準はどこにあるのか、わからないと思うでしょう。
その基準は、自分自身の心の中にあります。
自分は何を望んでいるのか。
自分はどんな生き方をしたいのか。
それがはっきりしていれば、それに従って情報を選べばいいのです。
選ぶ情報が人によって異なるのは当然のことです。
みんなが同じ情報に基づいて、同じように動かなければならない、と考えることが間違いなのです。
人は人、自分は自分です。
また、誰もが人間ですから、自分の心の奥底を探って行くならば、必ず他の人を思いやる気持ちが、見つかるでしょう。
決まりや義務や体裁で、誰かに親切にするのではなく、自分の心に従って、他の人の笑顔を求めるようになるのです。
自分の中で何が大切なのかがはっきりすれば、選ぶ情報はかなり絞られます。
不要な情報には関心が湧きません。
結果的に、実際に身の回りに置く品も、かなり絞り込まれることになるでしょう。
見た目には質素で、とてもシンプルな暮らしを、求めるようになります。
それは、何を持つべきかを理解している人たちの暮らしです。