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愛を見つけよ その2

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愛というものは、単なる概念、あるいは感情の一つに過ぎないと、受け止める人もいるでしょう。

そんなのただの言葉じゃないかと、言う人もいるかもしれません。

でも、それは正しい理解とは言えません。

愛とはエネルギーであり、元はみんな一つであったということを、感覚的に理解することです。

人はエネルギーの動きを、外から見て理解しようとします。

それを内側から理解するのが感覚であり、感情です。

人が愛を感じる時、それは相手との一体感を、感覚と感情で理解しているのです。

見た目に別々の存在のように見えていても、本当は一つなんだということを、感覚的に理解するのです。

だから、愛を感じた相手のことを、自分と同じあるいは自分以上に、大切にしようとします。

我が身を犠牲にしてでも、相手を助けようとするのです。

心もエネルギーであり、複数の心が互いに一体感を感じる時、そこに大きなエネルギ-の動きが生まれます。

その動きを感じる時、人はそれを愛という言葉で表現するのです。

愛という言葉が気恥ずかしいのであれば、この言葉を使う必要はありません。

エネルギーとしての心の動きと、その動きをどう感じるのか、ということが理解できれば、それを表現する言葉は重要ではありません。

表現するならば、自分だけの好きな言葉で表現したって構わないのです。

実際、すでに使われている言葉、愛もそうですが、神や魂というものにも、長年多くの人が使い込んで来たための、勝手な思い込みがすり込まれています。

自分がどう解釈するかという以前に、すでにイメージが創り上げられているわけです。

それがために、そのことについて、一人一人が新たに深く考えることが、やりにくい状況にあります。

そんなことをすると、頭がおかしくなったのかとか、宗教にはまっているのではないかと、疑われることになり、それを恐れる人は、これらのことについて考えることをやめてしまうのです。

しかし、言葉の表現を捨てて、自分なりの感覚からの理解を大切にするならば、私が何を言わんとしているかが、わかってもらえるでしょう。

こんなことは、学校でも家でも取り立てて説明されることはありません。

だから、愛に憧れはするものの、愛とは何かと、真剣に考える機会がないまま、多くの人は周りに流されて生きてしまいます。

目の前に本当に大切なものがあるのに、それを見過ごして、どうでもいいことに夢中になるのです。

それでも、これが愛なのかと思い知らされるような体験をすると、それまでとは考え方や価値観が、がらりと変わります。

ただ、そういう体験は、多くの場合、身近な集団の中に限られていました。

そのため、身内や地域あるいは同じ国の者に対しては、親近感を抱いても、それ以外の者に対しては、愛の心を持つことができません。

代わりに恐怖や不安、あるいは軽蔑や嘲りという思いを、見知らぬ相手に対して持つのです。

個人的には国や民族などを超えた結婚やカップルが増えて、自分と違う人々に対する理解は、かなり広がりました。

しかし、国という集団になると、まだ相手と自分は違うという気持ちが残ります。

平和の祭典であるオリンピックやパラリンピックで、どの国がメダルをいくつ取ったか、という話題が重視されるのも、自国の優位性を世界に認めさせたいがためです。

メダルは頑張った選手個人のもので、国のものではありません。

それを国の力にすり替えてはいけないのです。

国のそうした態度を国民が受け入れる時、国が間違った方向へ進んでも、国民はそれを咎めようとしません。

国が違っても、みんな同じ人間だと理解していれば、国が進んではいけない方向へ進もうとした時、国民はそれを止めることができるでしょう。

国という境を取っ払ってしまえば、結局残るのは、個人としての価値観です。

普段から、異国の人や人種の違う人たちと、仲良くできる人たちは、世界中の誰とでも仲良くできるでしょう。

それを邪魔しているのは、国という概念です。

自分たちは優れている、自分たちはあいつらとは違う、という考え方をすり込まれているために、本来とは違う見方をしてしまうわけです。

そして、今まさにそのとおりの状況が起きています。

世界を支配していたはずの先進国たちが、直接的な戦争に巻き込まれています。

こんなことは有り得ないと嘆く人もいれば、プーチンが諸悪の根源だと言う人もいるでしょう。

また、プーチンに権力を与え続けた、ロシアの人々を憎む人も出て来ると思います。

あるいは、ロシアやプーチンをここまで追い詰めたのは、欧米の責任だと言う人もいるでしょう。

でも、責任のなすりつけ合いをしたところで、本当の解決にはなりません。

そんなことをしていれば、今回の戦争が落ち着いたとしても、再び同じ状況が訪れるのは確実です。

本当の問題とは、多くの人にとって、愛を感じる対象が、身近な範囲だけに限られていた、ということです。

世界中の人が、どこの国のどんな人に対しても、家族に向けるのと同じような目を、向けることができたなら、戦争なんて起こりません。

争う理由がないからです。

困っていれば、必ず誰かが助けてくれる。

助けてもらった方も、今度は自分が誰かを助けようとする。

そんな社会であれば、争いなんて起きません。

今回の戦争は、そんな課題を全人類に突きつけているのです。

その課題のテーマは、「愛を見つけよ」です。