どうして戦争が起こるのか その1
今、ロシアとウクライナの戦いが、世界中の注目を集めています。
しかし、これまでにも人間は、世界の至る所で争いを繰り広げ、何度も戦争を繰り返して来ました。
戦争と言うと、国同士の争いになってしまいますが、内戦と呼ばれる国内の争いも、一種の戦争でしょう。
集団と集団が互いを否定し、殺し合うものは、規模に関係なく戦争と見ていいと思います。
それにしても、どうして戦争は起こるのでしょうか。
また、人間はどうして同じ愚かなことを、繰り返してしまうのでしょうか。
歴史から学ぶという言葉がありますが、歴史は繰り返すという言葉もあります。
学んでいるはずなのに繰り返すということは、実は学べていないとういことですね。
これはタバコやお酒が体に悪いと知りながら、それをやめられないのに似ていると思います。
全然違うと思われるかもしれませんが、同じ理屈です。
タバコやお酒をやめようと思うのは、頭で考えているわけです。
体に悪いことはやめておこうと考えるのですね。
でも実際にやめられないのは、タバコやお酒をやりたいと思う、感覚的な欲求があるのです。
それは肉体的な欲求のこともありますし、精神的な欲求のこともあります。
いずれにしても、それらの欲求がどうして起こるのか、という点について考慮しない限り、本当の禁煙や禁酒はむずかしいのです。
それと同じように、戦争は愚かなことであり、悲惨なことだというのは、誰にでもわかります。
勝っても負けても、そこには悲しみと憎しみしか残らないと、誰もが学ぶことはできます。
それで二度と戦争なんかしないぞ、と考えるのです。
でも、実際には戦争を繰り返してしまいます。
それはタバコやお酒を求めてしまう欲求があるように、戦争をするしかないと考えてしまう理由があるわけです。
その理由を無視した状態では、いくら戦争がよくないことだとわかっていても、また戦争をしてしまうのです。
戦争は選択肢に入れるべきではないのですが、選択肢の一つに数えてしまうのですね。
それは何故でしょうか。
それは暮らしの不満を、相手のせいだと考えたり、相手から抑圧されたり、襲って来られるかもしれないと、不安になったりするのが原因です。
また、相手への恐れや憎しみを抱いてしまうと、相手が自分と同じ人間だということを、忘れてしまうのです。
同じ人間を傷つけるのは気が引けますが、人間でないと見なせば、殺すことだって平気になります。
戦争は嫌であっても、その嫌な戦争をさせているのは、あいつらだと決めつけます。
自分は悪くないという立場で、自分を守ることや、自分が得することばかりを考えます。
相手への思いやりなど微塵もありません。
こういう人たちは、ちょっと誰かがそそのかすと、すぐにその気になって、相手を徹底的に痛めつけようとします。
支配欲や征服欲の強い者が現れると、自分たちの救世主だとばかりに支持をして、言われたとおりに動きます。
自分がしたことの責任なんて考えません。
思考能力なんかないのです。
こんな状況が続いていることが、いつまで経っても戦争がなくならない理由です。
他人を思いやれない自分勝手な考え。
正しい答えを自分で導き出す思考力の停止。
強い者になびけば安全と思う自信のなさと責任感の欠如。
個人的ないじめや差別の問題などを、振り返ってみて下さい。
問題を起こしている者たちは、必ず上に述べたような人間です。
そして戦争という愚かなことを繰り返す人たちも、これと同じ人々なのです。
いくら指導者が命令をしたところで、誰も従わなければ戦争にはなりません。
指導者に言われたから、相手を殺したと言い訳をしたところで、自分が犯した罪が消えるわけではありません。
指導者に責任を押しつけようとしても、その指導者に従った、その指導者を支持したという責任が、なくなることはないのです。
全てのことは自分で決めている。
この事実を受け入れない限り、無責任な人たちは、支配欲の強い指導者に利用されて、戦争を引き起こします。
他人を思いやり、自分の人生は自分で決める力を持ち、その結果の責任を受け止める勇気があれば、戦争は起こらないでしょう。
狂った者が指導者の立場に立つこともなく、人々は対立ではなく、助け合うことを選びます。
そもそも指導者なんて必要なくなるでしょう。
戦争を繰り返さないために、戦争の悲惨さを学ぶことは大切です。
でも、本当に戦争をなくそうと言うのであれば、普段から人々が互いを信頼し合い、尊敬し合い、助け合うという環境が必要なのです。