子供の心 その1
子供はやりたいことがあれば、ためらわずにやろうとします。
ためらうとすれば、親からだめだと言われている時や、一度経験して痛い目に遭ったなどの、後付けの理由があるからです。
誰にも注意されておらず、特に怖いことだと思っていなければ、子供はやりたいことを、思ったようにやります。
それが楽しくなかったり、期待していたほどのものでなければ、すぐに他に興味がある方へ行ってしまいます。
でも、楽しいなと思えば、何度でも繰り返してやるのです。
よくもまぁ、飽きもせずに同じことばかりするものだと、大人が呆れるほど繰り返します。
繰り返せば繰り返すほど、上達して行きますし、もっと面白くしようと、いろいろ工夫をして、初めとは違う形にしたりもします。
一緒に楽しんでくれる子供が現れたら、楽しさは倍増して、みんなでキャーキャーワーワーと、大騒ぎです。
でも、成長するにつれて、いつしかそんな楽しみ方を、多くの人は忘れてしまいます。
また、そんな楽しみ方を続ける人を見ると、大人のくせに子供みたい、と冷ややかな視線を送るのです。
では、自分は何をしているのかと言うと、周囲の大人たちと同じように、遊びと仕事の間に、きっちり線引きをして、遊びよりも仕事の方を優先します。
楽しくもないのに、生活のために仕方がないと、お金のために懸命に働き、いつになったらやりたいことができるのだろうと、愚痴をこぼしながら、これが大人というものなのだと、納得しているのです。
とは言え、仕事が大変なのは事実ですし、本当は仕事よりもやりたいことがあるわけです。
それを自分は辛抱しているのに、子供みたいに楽しんでいる人がいるなんて、何てことだと思ってしまうわけですね。
本当は、自分もその人のように、童心に返ってやりたいことを楽しめばいいのですが、そんなことはできないと、自分で自分にブレーキをかけてしまいます。
そして、やりたいことができないいら立ちと、やりたいことを楽しんでいる人への羨望を、冷たい視線に置き換えて、何とか自分の立場を守ろうとしているのです。
でも、そんな人には一度考えてみて欲しいと思います。
大人って何なのかと。
自分がイメージしている大人とは、自分が子供の時に、周囲にいた大人たちの姿ではないでしょうか。
その姿が正しいか正しくないかなど、よくわからないまま、大人とはこんなものだと受け止めてしまい、自分をそんな大人の姿に、はめこもうとしているのです。
でも、その大人のイメージが歪んでいたとしたら、どうでしょうか。
そのことに気づかずに、一生懸命自分の姿を歪ませて、本来あるべき姿とは異なる姿に、なろうと努力するのです。
それが楽しいものならともかくも、つらいことが多いのに、その大人の姿を目標に頑張ってしまうのですね。
自分の中の、子供の心を忘れていない人は、そんなことには関心が向きません。
ですから、素直な自分の姿のまま、自由に生きることができるのです。
自分はちゃんとした大人だと信じている人は、自分が子供の心を忘れていないか、自分に問いかけてみるといいと思います。