自分が大好き その2
人間は多くの価値観を持っています。
産まれて来た時には、何もなかったはずなのに、成長するにつれて、手に入れた価値観で、どんどん覆われてしまいます。
それは、まるで着ぶくれした衣服のようなものです。
本当の姿は衣服に隠れてしまって、見ることができません。
見えるのは、価値観という衣服で飾られた、外見だけです。
誰かを見た時に、その人がどんな人かを判断するのは、この価値観の衣服がどんなものか、というものになります。
素敵な価値観を揃えている人は、素敵な人に見えますし、変な価値観を持つ人は、変わった人に見えます。
ネガティブな価値観ばかりの衣服を着ている人は、見るからに暗くて危ない人のように見えるでしょう。
その人の本当の姿というものは見えませんし、本当の姿があることさえ忘れられています。
これは他人を判断する時ばかりでなく、自分を判断する時にも、同じことが言えます。
多くの人は、自分のことでさえも、価値観という衣服でくるまれた姿のことを、本当の自分だと考えてしまうのです。
ですから、嫌な価値観で覆われていると、そんな自分が嫌になってしまいます。
そんな人に思い出して欲しいのは、赤ん坊だった頃の自分には、そんな嫌な価値観の衣服は、一つもなかったということです。
では、その時には自分は存在していなかったのでしょうか。
違いますよね。
何の価値観もまとわない、真っ白な状態の純粋な自分が存在していました。
そして、その自分は今この瞬間にも、存在しているのです。
多くの価値観に埋もれてですけど。
この純粋な自分は、自分に着せられている、価値観の衣服に対して、着心地がいいのかどうかを、きちんと判断しています。
それが自分に合わないと思えば、とても居心地が悪いと感じます。
これが、自分を嫌になってしまうということなのです。