親と子供 その1

誰にも親がいます。
父親と母親がいます。
私たちの体は、父親と母親の双方から遺伝子情報をもらい、父親とも母親とも似てはいるけれど、別の新たな存在として生まれます。
そのため、親と似ているか似ていないかで、喜んだり落胆したりします。
また、遺伝子情報を分けてもらって生まれたということで、他の人間との関係と比べると、親子関係というものは、特別なものになります。
それに、生まれたばかりの赤ん坊や、まだ独り立ちできない幼子にとって、自分の保護者である親は、やはり特別な存在です。
子供は純粋に親を慕い愛してくれます。
親の方も、自分の分身とも言える我が子を、とても愛して大切にします。
でも中には、我が子を嫌い、虐待する親もいます。
そんな親の下に産まれた子供は、心が深く傷つきます。
下手をすれば、命さえ失うこともあるのです。
特別な関係でなければ、他の人に育ててもらえばいいわけですが、やはり親子関係は特別です。

たとえ親切な人に、親代わりに育ててもらったとしても、実の親は自分を愛してくれなかったという想いが、ずっと心の奥に突き刺さったままです。
そこを何とか割り切って生きて行ける人と、いつまでも割り切れずに、いつも心のどこかにその悲しみが、くすぶった状態の人がいると思います。
割り切った人にしても、割り切っただけのことであって、悲しみがなくなったわけではありません。
この悲しみの原因は、親子関係を特別なものと、考え過ぎるところにあります。
親子関係が特別なのは当たり前なのですが、その特別さをどの視点から見るかによって、自分にとっての重要性が変わって来ます。
何が言いたいかと言いますと、自分という存在を、自分の体に固定された、切ない存在だと受け止めていることが、問題だということです。
自分というものを考える時、どうしても体は切り離せません。
自分と体は一体のものであり、体が失われた時、自分も消えてしまうという人生観を、多くの人が抱えているのではないでしょうか。

人生は一回こっきりで、自分が生まれて来た時には、すでに今の状況が決められていて、自分ではどうしようもない。
恵まれた環境に生まれる者もいれば、恵まれていない環境に生まれる者もいる。
心の中は、たった一度の人生なのに、こんな差があるのは不公平だという不満と、どうすることもできないという無力感ばかり。
こんな感じで、人生をあきらめてしまい、投げやりな生き方をする人は、少なくないように思います。
確かに、人生一回こっきりであるならば、この考え方も理解できますが、人生が一回こっきりでなければどうでしょうか。
また、自分という存在が、今の体に固定されたものではなく、この世界を越えた、もっと大きなものだとすればどうでしょうか。
これは自分が望んで始めた、多くの人生ゲームのうちの、一つに過ぎないとすればどうでしょうか。
そんな視点で親子関係を見つめ直すと、親子関係が特別であることには違いがありませんが、その重要性については、これまでと違った受け止め方ができると思います。