路傍の花のように
道端を見ると、誰にも気づかれずに、ひっそりと咲いている小さな花を、見かけることがありますよね。
私はそんな花が大好きです。
名前なんてわかりません。
でも、名前なんていらないのです。
名前なんかなくたって、そこに花が咲いていることは、誰にだってわかります。
その花が他の花と違うことだって、名前がなくてもわかります。
同じ種類の花があっても、一つ一つが違うってことも、名前がなくてもわかります。
広々とした日当たりのいい所で、育つ花もいますが、道端に咲く花は、そんな花たちのことを、羨ましがっているようには思えません。
自分が選んだ場所、自分に与えられた場所で、必死に成長し、自身の表現である花を咲かせるのです。
誰かが気づいてくれなくても、これが私なんだよ、と胸を張って立っています。
そんなこと言ったって、誰にも気づいてもらえなければ、しょうがないじゃないかと、思うかもしれません。
でもご心配なく。
ほとんどの人が気づかなくても、必ず気づいてくれる人はいます。
人間が気づかなくたって、花から花へと飛び廻る、蝶々やミツバチたちは、ちゃんとこの花のことをわかっています。
わかる者にはわかるのです。
わからない者たちの基準で、判断してはいけません。
道端に咲く花たちは、近くにある大きな木を見て、自分もあんな木だったらよかったのに、なんて思ったりはしないでしょう。
動き回っている人間や犬・猫たちを見て、自分も自由に動けたらいいのに、なんて考えたりはしないと思います。
ただ、自分であること。
そのことだけに専念し、今の自分を精一杯表現することに、夢中なのです。
そうすることで、何かいいことがあるだろうかなんて、期待もしません。
他の花より、すごい花を咲かせてやるぞ、なんてことも考えません。
自分がいる環境の中で、自分がそこに存在している証として、自分にできる限りの表現をしているだけです。
そして、それがその花にとっては、幸せなことなのです。
そんな花のようにありたいなと、私は常々思うのです。