家族サービス
家族サービス。
よく耳にするこの言葉が、私は嫌いです。
それは、この言葉が偽善に満ちているからです。
本当はこんなことはしたくないんだ。
本当は他のことがしたいんだ。
本当は家族とは別の所にいたいんだ。
本当は仕事で疲れているから、家でゆっくりしたいんだ。
だけど、家族を大切にしていないと、非難されるのは困る。
家族から白い目で見られたり、ぎくしゃくした関係になるのは避けたい。
家族に対する義務を果たしているというところを、家族にも周囲の人たちにも、見せておかなくてはならない。
こんな気持ちで使うのが、家族サービスという言葉です。
言葉自体は、家族ではなく、職場の人間や知人たちに使います。
仕事で疲れていても、自分は家族のために、これだけ努力をしているというところを、アピールするためです。
家族にはこの言葉は使わなくても、まさに行動が家族サービスという形になっています。
一緒に出かけても、気持ちは上の空。
みんなが楽しんでいるのに、自分は椅子に座ったまま、早く終わらないかと考えます。
家族が楽しむための運転手や、荷物運びに徹することで、自分もそこに参加しているつもりになっています。
でも、相手側からすれば、本気で付き合っていないのは、一目瞭然です。
嫌々付き合われても、面白くありません。
しかし、そのことを口にして喧嘩はしたくないので、しょうがないかと妥協しているだけです。
みんなが家族ごっこを演じている状況で、そこに本当の家族の姿はありません。
ところが、家族の誰かが重い病気になったり、大怪我で重症を負い、死ぬかもしれないとなった時、慌てて相手のことを心配したりするのです。
つまり、死ぬ目に遭うか、本当に死んで初めて、大切な家族として扱ってもらえるわけです。
こんなの、実に馬鹿馬鹿しいですよね。
本当に大切ならば、普段からその気持ちを示せばいいのです。
大切なことは、失って初めてわかるもの。
こんな言葉を耳にしますが、そのとおりだと思うのは間違いです。
この言葉は、今の世の中の現状を表現しているだけで、真実だと告げているわけではありません。
大切なことは、失わずともわかるもの。
こうでなくてはなりません。
そのためには、自分の本当の気持ちを隠してしまい、好い加減なことをする自分を正当化しようとする、家族サービスという言葉は使わないことです。
お互いに家族サービスと言いながら、うなずき合っている人たちとは、距離を置いた方がいいでしょう。
本当に具合が悪いのであれば、家で休んでおくべきですが、それを日常の仕事のせいにしてはいけません。
家族を大事にしようと考えるのであれば、普段の仕事のやり方や、自身の生活の仕方を、改めるでしょう。
そこをやらずに、疲れているとか、具合が悪いということばかりを主張するのは、家族よりも自分が大事だと考えているのと同じです。
何が本当に大切なのか。
それを失う前に、気づいて下さい。