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本当にあるのは心だけ その1

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精神と物質という表現があります。

これは精神と物質は別物だという発想に、基づいているものです。

この考え方の基盤にあるものは、心と体の関係でしょう。

人には誰にも心と体があります。

そのそれぞれを学問的な、少し堅い表現をしたものが、精神と物質なのです。

ところで、人間は自分たちに心があることは理解しても、人間以外の存在に、心あるいは心に匹敵する精神が、本当に存在しているのかがわかりません。

犬や猫など、身近な動物には心があるだろうと、推測はするものの、本当のところはわからないと見るのが、理屈だけで物事を図ろうとする学者です。

学者の中には、心とは優れた人間の脳だけが創り出せるものだと、考える人がいるのです。

動物にも脳はありますが、人間のように心を産み出せるほどには、発達していないという理屈です。

しかし、ペットを飼っている人にとって、犬や猫に心があるのは当然であり、心があるかないかと議論すること自体が、無意味であり馬鹿馬鹿しいことでしょう。

それでも学者の中には、心があるように見えているだけで、本当はないと考える人がいるのです。

でも、ペットに心があると認めている人も、魚や昆虫に心があるのかと言われると、懐疑的になるかもしれません。

日本のことわざには、一寸の虫にも五分の魂というものがありますが、昔の人は、あらゆる物に心が宿っていると見ていました。

魚や昆虫ばかりでなく、草花や樹木にも、そして山や海にも心があると考えていましたし、自分たちが作った道具にさえ、心が宿ると思っていました。

だから、長年使って来た道具を、お寺で供養してもらったりするのです。

今の学者から見れば、昔の人は物を知らない者ばかりだと、考えるでしょう。

でも、本当に物を知らないのは、知ったかぶりをしている、自分の方かもしれないのです。

脳が心を創り出していると考える人は、心というものを物質的に説明しなければなりません。

蜃気楼のような現象は、物質的に説明ができます。

心を同じような現象だと言うのであれば、物質的にそれを説明できるはずです。

ところが実際は、それを説明できる人はいません。

心がこんな活動をしている時に、脳のこの部分が活発になっている、というようなことしか言えないのです。

でも、これは脳が心を創っている証拠にはなりません。

単に心と脳の関係性を示しているに過ぎないのです。

物質的に説明できないのであれば、素直に心は物質ではない存在だと認めるべきです。

そして、物質ではない存在があるのであれば、それが人間にしかないという、不自然で偏った考えを捨てないといけません。

これは、無限に広がる宇宙の中で、知性を持つ生物は、地球人だけだという考え方と同じです。

理性を持って考えたならば、いかに馬鹿げたことを言っているのか、誰にでもわかるでしょう。

人間が心を持っている以上、他の生き物たちにも心はあるわけで、昔の人が考えたように、あらゆるものには心が宿っていると見る方が、真実に近いと思います。