オリンピックを見直そう その2

どうすれば、あるべき姿のオリンピックを、取り戻せるのでしょうか。

それには、選手を中心とした、スポーツを愛する人たちが、自ら動いて変革を求める必要があります。

今のオリンピックは、選手も観客も、みんな興行主任せで、完全に受け身の姿勢です。

オリンピックの在り方や運営に、人々の意見が反映されているとは思えません。

また、その状況を選手も観客も、当たり前のように受け入れています。

こんな状態であれば、興行主が好きなようにできるのは当たり前です。

これは、オリンピックに限らず、あらゆることに共通して言えることです。

一番わかりやすい例が、国の政治でしょう。

国民が黙っていれば、政府を仕切る者たちは、自分たちに都合のいいように動きます。

口ではきれい事を言っても、実際は人々のために動きません。

目立つためのパフォーマンスは大好きですが、本当に人々のためになるようなことは、余程のことがない限り、自分から進んではやりません。

今の政治が嫌ならば、国民の一人一人が動いて、自分たちの意思表示をする必要があります。

それでも、今の体制にしがみついている人や、恩恵を受けている人たちは、なかなか体制を変えることに、協力しようとはしません。

そういう人たちを動かすためには、暮らしの安定を示しながら、人間として生きることの大切さを、訴えるしかないでしょう。

この暮らしの安定というところは、とても重要でして、これがなければ、余程の信念を持っている人でない限り、話も聞いてもらえません。

オリンピックに話を戻すと、スポーツ選手たちの生活を、保証してあげることができなければ、今のオリンピックを改めるということは、簡単ではないと思います。

また、スポーツ選手だけ生活を保証するのか、という話にもなりますから、実はこれは、普段の人々の暮らしを、どうするのかという問題とも絡んでいるのです。

今のオリンピックや、スポーツ大会などで浮き上がる問題は、私たちの日常生活で、よく見られる問題でもあります。

個人的には無視したり、辛抱してやり過ごそうとしている問題が、スポーツという特殊な状況を通して、浮き彫りにされているのです。

自分のことであれば、声を上げずに済ませようとすることも、大好きな選手がつらい想いをしているとなると、黙ってはいられなくなるでしょう。

そして、それは自分自身の問題に対しても、声を上げて行くということに、つながるのです。

オリンピックは様々なスポーツ大会の、象徴的な存在ですが、人間社会の象徴でもあります。

そのオリンピックを変えて行こうという気運が、起こりつつありますが、それは人間社会を変えようという気運でもあるのです。

私はオリンピックは必ず変わると確信しています。

それは、私たちの社会も変わると、確信しているということです。