低い投票率
衆議院選挙が行われました。
新型コロナウィルス騒動や、オリンピック・パラリンピック開催など、国民生活に直結した問題が、指摘され続けた直後の選挙です。
自民党は新総裁を迎えての選挙となり、いったいどんな結果になるのだろうと思っていましたが、蓋を開けてみると、自民党の単独過半数確保という結果でした。
それでも自民党は議席を減らし、野党連合を掲げていた立憲民主党も、議席を減らしました。
議席が増えたのは日本維新の会ですが、恐らく、自民党にも立憲民主党にも期待できないが、どこへ票を入れたらいいのかわからない、という人たちが、日本維新の会に流れたように思えます。
そういう意味では、日本維新の会の人気が急上昇した、ということではないでしょう。
いずれにしても、自民党は単独過半数を取ったわけですから、国民全員から信任をもらったと、勝手な解釈を掲げて、国民が反対している政策についても、好きなように行えます。
議員が悪いことをしても、それをうやむやにすることも可能です。
しかし、他の政党が政権を取ったところで、世の中ががらりと良くなるのかと言うと、そんな保証はありません。
却って悪くなるのではないかと、恐れる人は、やはり自民党へ票を、入れたくなるかもしれません。
どこの政党が政権を取ったところで、そこにおごりがあったり、偏った考え方や、国民目線と違う価値観を、持っているのであれば、結果はどんぐりの背比べのようなものになるでしょう。
だから、どこに票を入れたって同じだし、選挙なんて意味がないよ、と考える人が少なくないのだと思います。
その結果が、投票率の低さです。
しかし、投票は自分の意思表示をする手段です。
その手段を自ら放棄するというのは、世の中がどんなことになったところで、文句を言いませんと、宣言しているのと同じです。
実際、そういう方たちは、普段からそのような暮らし方を、しているのかもしれません。
世の中とのつながりを断ち、自分だけの世界に、籠もっているのではないかと思えます。
政治の方が、人と人のつながりを重視するような政策を、次々に打ち出してくれれば、このような人たちも、自然と世の中とのつながりを、取り戻すでしょう。
でも現実は、そうではありません。
好い加減なことをしても、選挙で負けないとわかっていると、議員は動きません。
自分が目立つための、パフォーマンスばかりに懸命になって、実際に国民のためになるような動きは見せません。
だから、世の中が変わるのを待っていても、何も変わらないのです。
投票に行っても、すぐに思ったような結果が、出ないかもしれません。
それでも、みんなが投票に行けば、どの政党も必ず、これまでどおりにしていると、まずいと認識するようになります。
そうなれば、どこの党が政権を取ったとしても、人々の暮らしは今よりも良くなって行くでしょう。
政治家を腐らせるのは、政治への無関心です。
また、好きなようにしたい政治家は、国民に政治へ関心を持たれるのを嫌います。
本物の政治家であれば、みんなが世の中を創っているんだ、ということを、常日頃から人々に訴えて、様々な活動を通して、みんなの意識を高めようとするでしょう。
どこの政党というのではなく、どこの政党にもいるであろう、そのような政治家の方たちに、もっと頑張ってもらいたいですし、そのような政治家が頑張れるように、国民は選挙に行くべきだと思います。
何故、選挙が大切なのか。
それは行動を通して、自分の意思表示をすることだからです。
これは政治だけの問題ではなく、一人一人の生き方に関わることなのです。
普段から、自分の気持ちに従った生き方や、人々と心のつながりを持った暮らし方が、できているかが、投票率という形で表れているのだと思います。
たかが一票の投票ではありますが、わざわざその一票のために、投票場へ足を運ぶということをすると、必ず日常生活にも、その影響が現れます。
全てはつながっていますから、一部を変えると、それに応じた変化が、他の所にも現れるのです。
別に投票でなくても構いません。
何か、自分の意見を出す場面があれば、あるいは自分の意思表示が必要な時には、そのとおりにやってみて下さい。
その小さな一歩から、人生は変わって行くでしょう。
投票率の低さは、自分をあきらめている人の、多さを示しています。
次回の選挙では、もっと投票率が上がっていることを、期待します。