自然と共に闘おう
地球温暖化に起因すると思われる自然災害が、地球規模で起こっています。
これに対して、これ以上の温暖化を防ぐ動きや、災害を警戒する動きが見られますが、まだまだ全人類的な動きではありません。
どうしても国同士の利害や、経済状況などを第一優先にしてしまうので、なかなか事は思ったようには進みません。
また、人間は自分を正当化するために、いろいろと理屈を捏ねます。
しかし、どんなに理屈を捏ねたところで、自然には通用しません。
自然災害は、神の怒りだとか、愚かな人間への天罰などではありません。
自然に対して、人間がやって来たことに対する、単なる反応です。
だからこそ、とても無慈悲に見えます。
でも、反応ですから、人間がしたことを、鏡に映して見せられているようなものでしょう。
人間が自分勝手な理屈で、自然に対して行って来たことこそが、無慈悲なものでした。
毎年のように起こる自然の猛威に対して、人間は対処しようとします。
それは自然をコントロールしようという試みでもあります。
口では地球に優しい環境を、などと言いますが、実際は損得勘定で動いているだけです。
もちろん、一部の人は自然や地球のことを、本気で考えていると思います。
でも、実際に国や経済を動かしている人たちの大半は、損得勘定が考えの基盤になっています。
このまま突っ走っては、人間が暮らせない環境になり、そうなっては商売ができなくなってしまう。
こんな考え方で、これまでの方針から、もっと積極的な温暖化対策へ、舵を切ることにしたのです。
損得勘定で動くのも、何もしないよりはましでしょう。
しかし、地球上で問題なのは、何も温暖化だけではないのです。
放射能の後始末もできないくせに、やたらと増やす原子力発電所や、核兵器。
他の生き物たちを、自分たちと同じ命ある地球の兄弟とはみなさず、単なる商品あるいは物としか見ない、無慈悲な心。
権力や金を求めるために、人間は生きていると思わせる、利己的で醜く歪んだ思考。
こういう問題を全て解決しなければならないのですが、それらの問題には共通しているものがあります。
それは自分のことしか考えない、人間のエゴです。
エゴそのものは、この世界で生きて行くための、一つの意識形態です。
ですから、エゴ自体が悪いわけではありません。
問題は、そのエゴに他人や他の生き物たちへの、思いやりや共感が大切だと、教えない環境にあるのです。
その環境は誰が作ったのでしょう。
それは、権力や金など上の地位にいる者たちが、自分たちの地位を守るために、他の人々に植え付けているのです。
そうすることで、人々から力を奪い、自分を弱者だと信じ込ませ、己の思いどおりに支配することが目的です。
別に陰謀論ということではありません。
権力に魅了された者であれば、誰もがそう考えるからです。
事情はどこの国でも同じです。
そんな者たちが人間社会を動かして来て、人々にそれが正しいことなのだと信じ込ませて来ました。
現在、地上で猛威を奮う自然災害は、そんな考え方に対する、地球の反応なのです。
それは病気と同じです。
病気とは、何かの状況によって、心身のバランスが崩れていることを示しています。
ですから、病気自体が悪いのではありません。
心身のバランスを崩している状況が、問題なのです。
病気は、そのことを教えてくれているのに過ぎません。
それと同じで、自然災害も人間が狂っていることを、教えてくれているのです。
本来は、地球の一部であり、他の存在たちと兄弟であるはずの人間が、自分と他のものとは別の存在だと思い込み、好き勝手をしているわけです。
病気で言えば、癌細胞と同じです。
癌細胞は、自分たちが増殖することで、体が死滅すれば、自分たちも死滅すると、理解していません。
今の人間は、まさに地球に生まれた癌細胞です。
でも、その中で本来の人間の姿を、取り戻している人たちもいます。
彼らは、本当の問題がどこにあるのかを、理解しています。
本当の問題を知らない人たちは、政府や地位ある人たちの言葉を信じ、自然をコントロールすべき対象として、考えるでしょう。
でも、そうではなく、何が悪いのかを教えてくれている自然とともに、人類社会の中の腐った部分を、改善して行くべきなのです。
そのためには、誰かに対して文句を言うのではなく、自分自身が自然と共に生きる、という姿勢を持つのです。
多くの人が、そういう考え、そういう生き方をすれば、権力者たちはどうすることもできないでしょう。
自然は決して敵ではありません。
コントロールすべき対象でもありません。
自分自身が自然の一部であることを思い出し、あるいは理解して、本来の人間としての生き方を、歩んで行くことが大切です。
人々がそのような道を歩み始めれば、自然の猛威は、次第に落ち着いて行くでしょう。