エゴの上映会
嫌な奴に、嫌な思いをさせられた。
そんな時、無性に腹が立ちますよね。
相手がいなくなっても、その思いはなかなか消えません。
忘れたつもりになっていても、ちょっとした心の隙を突いて、相手の嫌な顔が浮かんで来ます。
また、顔が浮かぶだけでなく、嫌な思いを再現するようなシーンが、映画のように繰り返されます。
あるいは、その嫌な相手がこれからも自分に、こんな嫌な思いをさせるだろうという場面も、浮かんで来たりもします。
これは相手の言動に傷ついたと、思い込んでいるエゴが、自分がどれだけ傷ついているかを、意識の中心にいるあなたに、訴えかけているのです。
エゴは物事を低い視点から眺めている、自我意識です。
意識の中心にいるあなたは、自分の言動に対する選択権や決定権があります。
普段はエゴに自分の代理を任せていますが、何かがうまく行かなくなった時、エゴはその処理ができません。
高い視点から物事を眺めることができないので、壁があるとぶち当たるばかりで、それを乗り越えるということができないのです。
それでも、エゴは自分の必要性を、意識の中心にいるあなたに向かって、必死に訴えます。
それが、あなたを不愉快な想いにさせる、嫌な記憶や、不安を煽るような映像なのです。
また、エゴは相手への怒りを訴え、嫌な相手がひどい目に遭う場面や、死んでしまう場面を創り出して、あなたの心のスクリーンに上映します。
そうやってエゴはあなたに、同調を求めます。
あなたが、このエゴの言い分を受け入れ、自分をエゴと同調させると、あなたはエゴと一体化します。
つまり、物事を高い視点から眺めて、判断することができなくなるのです。
あなたが嫌な相手のことを、憎んだり呪ったりしている時は、エゴに主導権を握られています。
相手を憎んだり呪ったりしたところで、あなたの心は余計に乱れ、つらくなるばかりです。
本来の自分を取り戻し、楽しく過ごすためには、エゴに同調してはいけません。
そうではなく、エゴの視点を今より高い位置へ、移動させてやるのです。
嫌だと思った相手が、その後どうなろうと、それはあなたには関係のないことです。
あなたが関わるべきなのは、自分自身の人生であり、充実した人生を送ることだけです。
まずは、そのことをエゴに納得させねばなりません。
意識の中心にいるあなたには、エゴからの訴えだけでなく、もっと高い視点を持ったあなたからの、助言が届きます。
その助言を元にして、エゴにもっといい映像を見せるよう、要求すればいいのです。
でも、視点の低いエゴに完全に同調していると、高い視点からの助言は得られません。
気持ちを落ち着け、ニュートラルの状態を維持することが重要です。
エゴは自分の言い分を変えると、自分が無価値になると思い込んでいます。
そのため、なかなか助言に従いませんし、世の中にある不安を煽ったり、自分から自信を摘み取るような映像も、次々に見せようとします。
それでも粘り強く、そんな映像はつまらないから、違う可能性の映像を、上映するように求めます。
渋々ながらも、エゴが楽しい将来の映像を、上映し始めると、それが気分のいいことであるとわかります。
また、自分の価値がなくなるどころか、却って価値が高まると理解するようになります。
そうなると、エゴはそれまでより高い視点で、物事を眺めるようになり、あなたは再び安心して、エゴに普段の行動を、任せられるようになるのです。