原因と結果
物事には、原因と結果があります。
たとえば、道に大きな穴が空いているとします。
そして、前を見ないで歩いている人が、その穴に落ちたとしましょう。
この場合、道に穴が空いていたから、この人は穴に落ちた、と見ることができます。
すなわち、道の穴が原因で、穴に落ちたことが結果になります。
でも、この人がちゃんと前を見ていれば、穴に気づいて、落ちずに済んだかもしれません。
となると、結果は先ほどと同じ、穴に落ちたことでも、原因は前を見ていなかったこと、ということになります。
あるいは、この人はこの日に限って、いつもとは違う道を、通っていたのかもしれません。
すると、違う道を通ったということも、原因と考えられます。
でも、実際はこれらのことが、全て重なった結果、穴に落ちるという結果を、導いたのです。
つまり、全部が原因なのですね。
朝寝坊して急いでいたため、歩きながらスマホをいじったのだとすれば、朝寝坊も原因の一つになります。
朝寝坊をするハメになったのが、久しぶりに会った古い友人と、朝方近くまでお酒を飲んでいたからだとすると、これもまた原因の一つということになるでしょう。
この友人が、この人に会いたくなったのも、原因の一つと言うとができます。
こんなこと、言い出したらキリがありませんね。
何で、こんなことになってしまったんだ、と嘆きたくなることはあるでしょう。
でも、「何で」の理由を考えて行くと、結局はなるべくしてなったとしか、言えなくなります。
ただ、その中で、自分が関わっている部分については、反省することができます。
今後、同じようなことにならないよう、気をつけることはできます。
さて、道の穴に誰かが落ちた、という結果について、見てみましょう。
落ちたというのは、一つの結果ですが、そのために落ちた人は、怪我をするかもしれません。
下手をすれば、死ぬということも考えられます。
穴に落ちたという結果は一つでも、そこに続く別の結果は、幾通りかに分かれます。
仮に落ちた人が無事であっても、そこから這い出すなどの手間がかかります。
その手間のせいで、本来なら起こらないはずのことが、起こってしまう可能性はありますよね。
その人が怪我をしたり、死んでしまったりすれば、尚のこと、その先のことに、大きな影響を与えることになるでしょう。
このように、たった一つの結果に見えることでも、実は多岐に渡って影響を及ぼすものです。
影響の大きさを問わなければ、恐らくは、その後の世界全体に影響があると言えるでしょう。
これぐらいいいだろうとか、自分一人がすることで、どうなるものでもない、などと考えるのは、間違いです。
実際は一人の行動が、世の中全体に何等かの影響を、及ぼしているのです。
原因にしても結果にしても、突き詰めて考えると、全てはつながっているのだな、ということがわかると思います。
どうして自分は生まれて来たのだろう。
自分なんか生まれなければよかったのに。
こう考えてしまう人も、いると思いますが、その考えが正しくないことは、原因と結果の話から、わかるのではないでしょうか。
何かが起こるのには、現在から過去の時間全てを含めた、世界全体が関わっています。
誰かが生まれることは、ある意味、遠い遠い昔から決まっていのだと、言えるでしょう。
それは世界の意思であり、人類全体の意思なのです。
ですから、生まれなくてもよかったのに、という人など、一人も存在しないわけです。
自分なんかに何ができるんだ。
自分は何もできない無価値な人間だ。
こう考えるのも、同じ理由で、正しいとは言えません。
先に説明したとおり、何かをすれば、それは必ず、現在から未来の時間全てを含めた、世界全体に影響を及ぼします。
それがどのような影響なのかは、必ずしも知ることはできません。
でも、自分が知らないだけのことで、影響は必ずあるのです。
ですから、何もできない無価値な者など、一人も存在しないのですね。
自分に自信がない方は、自分の力を知らないだけです。
また、力というものを、何か派手なもののように、思い込んでいるのでしょう。
自分の力とは、自分が自分らしくいることです。