道を切り開く
人生の道は、自分で切り開くものです。
じっと待っていても、誰も切り開いてくれません。
そんな人は、他人の道を進むしかありません。
世間の常識や価値観に自分を合わせ、他人と同じように、流行を追い求めます。
みんなが通る道を進むことに、安心感を覚えるのです。
でもそれは、とりあえず道があることへの、安心感です。
本当は自分の道がないから、その道を進むのです。
多くの日本人の場合、進学するのも、就職するのも、そこに自分の意思はありません。
親に言われたから、みんながそうするから、そこしか行けないから。
そんな理由で動いている人が、ほとんどでしょう。
仕事や生活に不満があっても、みんなが我慢していると思って、動こうとしません。
あるいは、動いたところで、どうにもならないと、初めから決め込んでいます。
危険が迫っている時や、誰かを助けようと言う時などに、みんなが息を揃えて行動することは、必要ですし大切だと思います。
しかし、普段の暮らしは人それぞれで、どういう生き方をするのかは、その人の自由です。
それなのに、その自由を捨てて、他の人と同じ道を進もうとするのは、せっかく念願のゲームを手に入れたのに、そのゲームを楽しまないのと同じです。
人生というゲームに、初めから道はありません。
道は自分で切り開くのです。
それこそが、このゲームの目的です。
なかなか、上手く進めないこともあるでしょうが、それもこのゲームの醍醐味です。
ホイホイと簡単に進むようでは、少しも面白くありません。
自分の道を切り開こうとしないのは、子供が泳ぐのを怖がったり、自転車に乗るのを嫌がったりするのと、同じでしょう。
やったことがないから、自信がない。
溺れたら嫌だから、転んだら痛いから、だからやらない。
別に泳がなくても、自転車に乗れなくても、生きて行けるから。
こんな感じでしょうか。
だけど、こんな人は泳ぎや自転車以外のことも、同じように考えてしまい、結局何一つやらないまま、ただ生きているだけの、人生を送ります。
やってみた結果、こういう理由で、自分にはこれができないとか、自分には合わないと、わかるのならばいいのです。
何もしないで、初めから否定的な結果を決めつけるのは、やはり、もったいない話です。
そんなことができたところで、それが何?
一銭の金にもならないじゃない。
全然大したことないのに、よくやるね。
こんな風に、すぐに人を批判したがる人もいるでしょうが、そんな連中は、放って置きましょう。
自分がやりたいことを、見つけている人は、絶対にこんなことは言いません。
こんなことを言う人は、自分が何をすればいいのかわからず、他人の人生を生きている人です。
そんな人生がつまらないのは、彼らもわかっているけど、自分ではどうすることもできないのです。
だから、自分の人生を歩もうとする人を見ると、羨ましく思いますし、貶したくもなるのですね。
結局、彼らの言葉は、何もできない自分を、卑下してるわけです。
他人を貶しながら、実は自分自身を貶しているのです。
もし、あなたが誰かに対して、その人が打ち込んでいることを、批判したくなるならば、それは自分には、打ち込めるものが何もないという、気持ちの表れです。
言い換えれば、自分は自分の道を歩んでいない、ということが言いたいのです。
誰かの楽しみに、けちをつけたくなるなら、気持ちを切り換えて、自分もその人を見習って、何かを始めてみようと思いましょう。
どんな小さなことでもいいのです。
自分が面白いと思えることであるならば、いろいろ試してみるべきでしょう。
たとえ、それが糸のような細い道でも、いずれは立派な、あなただけの道につながります。