やり直しの人生 その2
好き勝手に暮らして来たはずが、死が迫った時に、家族の気持ちを考えていなかったとか、本当にやりたかったことに、初めて気がつくということが、あると思います。
自分の本当の想いが顕わになった時、そして、その想いを表す機会が、既に失われてしまったと知った時、人は真の後悔を経験することになるでしょう。
もし、人生をやり直せるのなら、もし、自分にもう一度チャンスを与えてもらえるなら、今度こそ、こういう風にしたい、いや、絶対にこうして見せる、と思うはずです。
ドラマや映画であれば、限定された時間の中で、もう一度やり直す機会を、与えてもらうという話がありますよね。
ドラマや映画で、そんな物語を観たならば、とても感動するでしょう。
でも、実際に自分がその物語の主人公と、同じ状況にあるとは、誰も思いません。
そんなことは、創作された物語の中だけのことだと、思い込んでいるのです。
でも、本当にそうだと言い切れるでしょうか。
人の心も世界も、わかっているようでわかっていない、とても不思議なものです。
今の人生が、前の人生で抱えた問題を、クリアするためのものである可能性は、否定できないと思います。
もちろん、わからないことですから、自分の人生をどう受け止めようと、それはその人の自由です。
しかし、今の人生が自分に与えられた、やり直しのチャンスなのだと理解すれば、物事の見え方が、がらりと変わるでしょう。
大きな壁と見えていたものは、行くべき先でないという、案内板かもしれません。
みんなが敵意を持っているように見えたとしても、歪んだガラス板が、人々の姿を歪ませていただけと、気がつくでしょう。
何をやっても上手く行かないのは、それが自分の目的ではないからだと、理解ができます。
自分は一度人生を無駄にして、この世を去った。
その人生は悔いだらけの人生だった。
そこで、もう一度チャンスをもらって、この人生を経験させてもらっている。
そう考えると、生きていることが有り難く、また愛おしく思えるでしょう。
自分が嫌だとか、あいつが嫌いだとか、そんなことは考えなくなると思います。
何か問題が起こった、あるいは進む道が塞がれた。
そんな時こそ、自分がこの人生で、何をすべきなのかという目的が、示されているのです。
ほら、これが目的ですよ、と親切な形で表示されるわけではありません。
意外な形で、謎解きのように提示されるのです。
そもそも、それが謎解きだと思っていなければ、答えである人生の目的に、気がつくことはありません。
でも、人生というのは、そんな風にできているのだと思います。
嫌なことがあっても、人生をやり直したいと思うのではなく、すでにやり直しているのだと、受け止めて下さい。
そう受け止めるだけで、あなたの人生は、それまでと全く違う、光輝くものとなるでしょう。