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嫌な相手と自然災害 その2

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 ※荒獅子さんによる写真ACからの画像です。

自然災害に遭っても、自然はどうすることもできません。

ですから、初めから自然と争う気持ちは起きません。

しかし、相手が人間の場合、たとえ自分が非力であっても、相手に対する反発心が生じます。

自然は誰かを狙って、攻撃して来るわけではありません。

でも、人間の場合、気に食わない相手に対して、嫌な想いをさせてやろうとします。

無差別に人を襲う者もいますが、それは誰のことも、気に食わないわけです。

意図的な敵意を向けられたなら、誰でも相手を敵とみなし、怒りが湧き起こります。

でも、襲って来る相手が人間であっても、自然であっても、それは同じことなのです。
襲いかかって来るという事実に、変わりはありません。

異なるのは、それに対する、自分の受け止め方です。

 ※bBearさんによる写真ACからの画像です。

嫌な相手が、嫌がらせを続けるのは、自然の猛威が、収まっていない状況と同じです。

嫌な相手に、行為をやめさせようとするのは、自然の猛威に、対処しようとするのと同じです。

嫌な相手を、どうすることもできず、相手がいない所へ逃げるのは、繰り返す自然の猛威に、対処するのが困難で、安全な所へ移動するのと同じです。

安全な所へ逃げても、恐怖がフラッシュバックするのも、どちらも同じです。

差が出て来るのは、その後の立ち直り方です。

災害に遭った方は、自然を恨みの対象ととらえませんし、多くの場合、同じ被害に遭われた方たちと、意識を共有できます。

そこで、悲しみをこらえながらも、前へ進み出し、その結果、喜びを再び感じることが、できるようになるのです。

これに対して、個人的に誰かにひどい目に、遭わされた人の場合、相談できる人もなく、誰とも意識を共有できずに、孤立しがちになります。

相手への怒りや恨みは、いつまでも継続し、その人の足止めとなって、その人が先へ進むことを阻みます。

また、他人と気持ちを共有する機会も少なく、誰にも自分の気持ちはわからない、と思うことで、誰かに引っ張ってもらうこともできません。

 ※FineGraphicsさんによる写真ACからの画像です。

でも、自分が孤独で、誰にもわかってもらえないと考えるのは、勝手な思い込みです。

世の中に似たような人が、たくさんいるのは、報道を見ていればわかるでしょう。

自分で周りに壁を作るのをやめて、自分を励まそうとしてくれる人たちの気持ちを、素直に受け止めることが大切です。

また、嫌な相手に出会うのも、自然災害に遭うのも、同じことだと考えれば、相手を恨む気持ちは萎んで来るでしょう。

自分が幸せになることこそが、一番大事だと理解し、前を向いて一歩踏み出すことが、何より重要です。

自分にひどいことをした人間が、どうなろうと関係ありません。

その人が歪んだ心を、持ち続けていれば、当然それなりの人生を、送ることになるでしょう。

もし心を改めて、真っ当な人間になっているのなら、その人が幸せになることを、許してあげましょう。

いずれにしても、その人がどんな人生を送るのかは、関係のないことです。

 ※Hermann TraubさんによるPixabayからの画像です。

自分が意識を向けるのは、自分が自分である人生を歩むことです。

途中で転ぼうが、怪我をしようが、顔は常に前を、向いていなくてはなりません。

自分の望むことから、ぶれないようにするのです。

人間も自然も、同じであることを理解し、嫌な相手のことも、自然を相手にしていると、考えるのです。

そこから離れたいのに離れられないのだとすると、それは別の問題です。

そこに自分を引き止めようとする、誤った価値観が、心の中に潜んでいると思います。

自分は自由であり、人生の選択権は、常に自分にあると考えて下さい。

自分が自由に生きることに集中すれば、嫌な相手のことも、自然災害と同じように、思えるようになるでしょう。