嫌な相手と自然災害 その2
自然災害に遭っても、自然はどうすることもできません。
ですから、初めから自然と争う気持ちは起きません。
しかし、相手が人間の場合、たとえ自分が非力であっても、相手に対する反発心が生じます。
自然は誰かを狙って、攻撃して来るわけではありません。
でも、人間の場合、気に食わない相手に対して、嫌な想いをさせてやろうとします。
無差別に人を襲う者もいますが、それは誰のことも、気に食わないわけです。
意図的な敵意を向けられたなら、誰でも相手を敵とみなし、怒りが湧き起こります。
でも、襲って来る相手が人間であっても、自然であっても、それは同じことなのです。
襲いかかって来るという事実に、変わりはありません。
異なるのは、それに対する、自分の受け止め方です。
嫌な相手が、嫌がらせを続けるのは、自然の猛威が、収まっていない状況と同じです。
嫌な相手に、行為をやめさせようとするのは、自然の猛威に、対処しようとするのと同じです。
嫌な相手を、どうすることもできず、相手がいない所へ逃げるのは、繰り返す自然の猛威に、対処するのが困難で、安全な所へ移動するのと同じです。
安全な所へ逃げても、恐怖がフラッシュバックするのも、どちらも同じです。
差が出て来るのは、その後の立ち直り方です。
災害に遭った方は、自然を恨みの対象ととらえませんし、多くの場合、同じ被害に遭われた方たちと、意識を共有できます。
そこで、悲しみをこらえながらも、前へ進み出し、その結果、喜びを再び感じることが、できるようになるのです。
これに対して、個人的に誰かにひどい目に、遭わされた人の場合、相談できる人もなく、誰とも意識を共有できずに、孤立しがちになります。
相手への怒りや恨みは、いつまでも継続し、その人の足止めとなって、その人が先へ進むことを阻みます。
また、他人と気持ちを共有する機会も少なく、誰にも自分の気持ちはわからない、と思うことで、誰かに引っ張ってもらうこともできません。
でも、自分が孤独で、誰にもわかってもらえないと考えるのは、勝手な思い込みです。
世の中に似たような人が、たくさんいるのは、報道を見ていればわかるでしょう。
自分で周りに壁を作るのをやめて、自分を励まそうとしてくれる人たちの気持ちを、素直に受け止めることが大切です。
また、嫌な相手に出会うのも、自然災害に遭うのも、同じことだと考えれば、相手を恨む気持ちは萎んで来るでしょう。
自分が幸せになることこそが、一番大事だと理解し、前を向いて一歩踏み出すことが、何より重要です。
自分にひどいことをした人間が、どうなろうと関係ありません。
その人が歪んだ心を、持ち続けていれば、当然それなりの人生を、送ることになるでしょう。
もし心を改めて、真っ当な人間になっているのなら、その人が幸せになることを、許してあげましょう。
いずれにしても、その人がどんな人生を送るのかは、関係のないことです。
自分が意識を向けるのは、自分が自分である人生を歩むことです。
途中で転ぼうが、怪我をしようが、顔は常に前を、向いていなくてはなりません。
自分の望むことから、ぶれないようにするのです。
人間も自然も、同じであることを理解し、嫌な相手のことも、自然を相手にしていると、考えるのです。
そこから離れたいのに離れられないのだとすると、それは別の問題です。
そこに自分を引き止めようとする、誤った価値観が、心の中に潜んでいると思います。
自分は自由であり、人生の選択権は、常に自分にあると考えて下さい。
自分が自由に生きることに集中すれば、嫌な相手のことも、自然災害と同じように、思えるようになるでしょう。