嫌な相手と自然災害 その1
嫌な人が来た。
どうしよう、どうしょう。
また何かされるかもしれない。
嫌な想いをさせられた人物が、近くにいるだけで、パニックになることがあります。
実際は、相手が何もしなくても、不安と恐怖で一杯になってしまいます。
あるいは、相手と遠く離れた場所にいても、いつも心は落ち着かず、ふとしたきっかけで、不安や恐怖が一気に膨れ上がります。
そんな自分が嫌になっても、どうすることもできません。
あんな奴、死んだらいいのにとか、苦しみ続ければいいのにと、思い続けてしまいます。
でも、そんなことばかり考えても、自分が幸せになれるわけではありません。
言い換えれば、そんなことを考え続けている限り、幸せが訪れることはないのです。
それは、自分の幸せを薪にしながら、相手を恨む炎を、燃やし続けている構図です。
似たようなことですが、ちょっと状況を変えて考えてみましょう。
自分に嫌な想いをさせた人物を、自然災害に置き換えてみます。
今、世界では自然災害が猛威を奮い、日本でも毎年多くの方が、災害によって命を奪われ、家族や友人を失い、家や財産もなくしています。
それは、大変なショックであり、生き残った方の心に、深い傷をつけてしまいます。
水害の被害に遭われた方は、しばらくの間、川や海などに対して、恐怖心を抱くでしょう。
土砂崩れの被害に遭われた方は、急な斜面や山の近くに近寄るのが、怖いと思います。
でも、やがて穏やかな日々が戻り、何事もなかったような風景になると、長い時間をかけながら、自然に対する恐怖心は、和らいで行くでしょう。
大切な人や物を失った悲しみは忘れなくても、海や山を見てパニックになることは、なくなると思います。
自然を恨んだり、自然を呪うようなこともありません。
自然はどうすることもできませんから、そのような気持ちにはならず、自分の運が悪かったと受け止めるのです。
ただ、普段は穏やかでも、猛威をふるう時もあるのだと、自然に対するとらえ方は、以前とは異なって来るでしょうし、それなりの対処も覚えるでしょう。
また、自分を支えてくれる人々への感謝を持ち、楽しいことへ気持ちを向けて、自分が笑うことを許せるようになります。
ところが、相手が自然ではなく人間になると、様子が違ってしまいます。
いつまでも悲しみは続き、相手への怒りや恨みは終わりません。
自分を気遣ってくれる人たちを、思い遣ることもできず、自分の人生はおしまいだと決めつけ、楽しむことも笑うこともあきらめてしまいます。
この差はいったい何でしょうか。
それは、相手が自分と同じ立場の存在かどうか、ということです。