普通ということ
普通とは何でしょう。
辞書によれば、「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それが当たり前であること」とあります。
つまり、よくあることとか、特に珍しくもないものは、「普通」となるのです。
ただ、この言葉を使う時、それがいつものことだと、伝えているだけでなく、その状況を変える必要性を感じていない、という気持ちも示しています。
たとえば、学校や職場で多くの人が、互いの顔を見るたびに、いがみ合ったり争ったりしているとしましょう。
その場にいる人が、そのことを外部の人から聞かれると、「普通だよ」ということになるでしょう。
この人にとっては、当たり前の光景であって、別にどうってことはない、という意味です。
言い換えれば、この人はこの争いの状況を、改善するつもりはない、ということです。
同じように、いじめや差別を受けている人がいても、それがいつものことだと思われると、誰もそれを止めようとはしなくなるでしょう。
別にどうってことない、いつものことと、とらえているからです。
国を動かす政治にしても、役に立たない政治家が、好い加減なことばかりしていても、「自分の国は、これが普通なんだ」と思ってしまうと、政治を変えようとは思わないでしょう。
大多数の人が何も言わなければ、それは「普通」になってしまいます。
少数の人の意見が通らなくても、それは「普通」なのです。
でも、ある人にとっては普通でも、他の人にとっては普通ではありません。
普通とは絶対的なことではなく、相対的であり主観的です。
また、普通という言葉を用いる時、その人は思考を停止しています。
「普通」だから、考える必要はないのです。
しかし、これは知性を持つ人間としては、よくないことです。
思考を停止すると、知性が発達しないからです。
日本人が外国で礼儀正しくして、驚かれたり褒められたりした場合、日本人にとっては、それは普通のことだと思うでしょう。
でも、これだって普通だと思うと、マナーの悪さが目立って来ていることに、目をつぶるのと同じです。
普通じゃないのです。
礼儀正しくする人は、その人個人が、礼儀を重んじているだけであり、日本人として普通ではないのです。
普通という言葉は、目の前にあるものを、見えなくする力があります。
普通という言葉を使いたくなる時は、自分が何かを見落としていないのか、よく確かめてみたらいいと思います。