いつもと違うことをしよう その2
いつもと違うことって、どんなことでしょうか。
普段は通らない道を通ってみる。
いつもは車に乗るところを、歩いてみる。
気に食わない相手に、挨拶をする。
知らない外国の文化に触れる。
遠い所を旅してみる。
足下の草花や虫を観察する。
山や海、雲に話しかけてみる。
スマホやコンピューターに触れないで過ごす。
亡くなっている人たちに、声をかけてみる。
瞑想をする。
お金と関係のない仕事をしてみる。
子供やお年寄りと、触れ合う機会を作る。
漢字検定に挑戦する。
サークルに参加する。
音楽を楽しむ。
どうでしょうか。
考えれば、いくらでもあるでしょう。
とても全部は書ききれません。
いつもと違うことをすることで、自分が自分を動かしていると、実感できます。
また、それまでにはなかった刺激を受けますので、そこに新たな感覚や感情、価値観が生まれます。
それは、心の成長として感じられると思います。
人は心としての存在です。
その心が成長しないのは、一種の病気のようなものと言えるでしょう。
自分だけが成長できないのであれば、おかしいぞと、わかるのですが、周囲の人たちみんなが同じ状態だと、誰も気がつきません。
突発的な出来事によって、強制的に生活パターンを崩され、嫌でも思考を求められた時に、初めて自分が人生を傍観していたことに、気づかされるのです。
でも、そんな形で気づかされるのもつらいですから、自分から日頃のちょっとした変化を楽しむことで、自発的に気づくようにするのが、いいでしょう。
自分が人生を動かしている、という実感を得ることができたなら、普段の暮らしに戻っても、それはもう、それまでの暮らしとは全然異なります。
同じ事をしていても、それは組み込まれたパターンではありません。
いつでもそれを変更できるという、自覚があるからです。
同じ作業や、同じ動きをする時も、そこに自分なりの工夫や考えを、練り込もうとするでしょう。
見た目は同じでも、中身は全然違います。
また、自分の心の中に蓄積される経験も、それまでとは全く違うものになるのです。
自分で人生を歩んでいる感覚がわかった人は、それまでとは別の仕事や暮らしを、求めるようになるかもしれません。
それは、その人にとっては自然なことであり、そういう人が増えるほど、世の中は楽しく過ごしやすいものになるでしょう。
何故、多くの人が人生を傍観してしまうのか。
それは、世の中が楽しくないからです。
生活の中心にあるのは、楽しむことではなく、義務的なことばかりだからです。
そんな暮らしにどっぷりつかるなんて、やってられませんから、自動運転に任せて傍観してしまうのです。
でも、楽しむ暮らしを覚えたら、傍観なんてしてられません。
これがしたくて生まれて来たんだと、思い出すことでしょう。
本当かなぁと思う人は、ぜひ変わったことを、やってみて下さい。
きっと人生に目覚めると思います。