聞く耳を持つ その1
人の話を聞こうとしない。
そんな人、いますよね。
何を言っても、我が道を進む頑固者。
こうだと言い出したら、譲らない。
こういう時、本人は自分は間違っていないと、思い込んでいるんですね。
自分が間違っていない以上、悪いのは相手であったり、環境であるわけです。
自分の考えを見直すのは、自分にも間違ったところがあると、認めるようなものですから、そんなことは断固として否定します。
それを、あえて考え直すよう強いると、自分を否定されたと受け止めて、ひどく傷つくのです。
人はそれぞれ自分の考えがあり、その考えに従って生きています。
ですから、頑固であろうとなかろうと、それはその人の自由であり、他人がとやかく言うことではありません。
ただ、それは他の人にも言えることですから、他の人が話の通じない相手と、距離を置いたとしても、それも責めることはできないわけです。
自分だけが正しいと考える人は、たとえ本当に正しかったとしても、その正しさは他の人に、受け入れてもらえないでしょう。
態度や雰囲気は、言葉と同じように、自分の思いを表現するものです。
それが相手を否定したり拒絶するようなものだと、誰も寄りつこうとしないでしょう。
寄りつくとすれば、その人の鼻っ柱をへし折ってやろうと、考える人たちだけです。
そんな状況をよしとして、自分の姿勢を貫くのであれば、それはそれで立派だと思います。
誰が何と言おうと、これが自分なんだと納得し、満足するのであれば、それでいいでしょう。
でも、みんなから避けられたり、喧嘩を吹っかけられたりすることに、居心地が悪いと感じるならば、自分の路線を見直してみる必要があると思います。
何で自分が考えを改めないといけないんだ、と腹立たしく思うかもしれません。
しかし、世界のルールを自分が創ったわけでないのなら、もう少し謙虚にならないといけないでしょう。
結局、こういう人はとても傷つきやすく、不安がいっぱいなのです。
ですから、自分を肯定し、守るために、他人に対して攻撃的になったり、聞く耳を持とうとしなかったりするんですね。
自分に自信がありながら、謙虚な心を持っている人は、絶対に攻撃的になりません。
自分が正しいと思っても、それは絶対的なものではないと、理解していますから、他人の話にも耳を傾けようとします。
我が道を行くということと、人の話に耳を貸さないというのは、実は全然違うことなのです。
頑固な人は、そこのところを誤解しているのかもしれませんね。