庚申庵

松山市の街中に、周囲とは異なる時空間があります。
それは、庚申庵(こうしんあん)史跡庭園です。
庚申庵というのは、寛政12年(1800年)に伊予の俳人・栗田樗堂(くりた ちょどう)が、残された人生を俳句一筋で生きようと思って、建てた庵です。
栗田樗堂 52歳の時のことです。
庚申庵という名前の由来は、寛政12年が干支でいう庚申(かのえさる)であったことと、古庚申と呼ぶ青面金剛の祠が、近くにあったのに因んだとされています。
栗田樗堂は俳人であると同時に、酒造業を営み、町役の大年寄も担っていた、町の有力者でもあったようです。

仲間を集めて俳句を楽しむ庵は、とても簡素です。
やたら物が多い現代の人間に比べ、本当に必要な物だけを携える、当時の人々の暮らしが窺えて、とても新鮮な気持ちになれます。
生活環境や住まいの様子は、その人の心の表れでもあります。
多くの物に囲まれる私たちは、それだけ多くのことに興味が引かれ、訳がわからなくなっているように思えます。

庚申庵には何もないのに貧相でなく、心が落ち着き和むのは、この空間にいることで、自分自身の心も無駄な部分が削ぎ落とされ、すっきりするからでしょう。
温泉に浸かって、体をきれいにしたような感じですね。

庵の前には藤棚があり、その向こうには樹木に囲まれた、小さな池があります。
藤の木は庵の建設当時に植えられたもので、樹齢200年以上になるものです。
外に出ると、すぐ横を伊予鉄道が走り、近くには大きなスーパーがあります。
それなのに、縁側に座って庭を眺めていると、自分が松山の街中にいるのを、忘れてしまいます。
私が訪れた時には、多くの蝶々が飛び交っていましたが、人を恐れる様子もなく、すぐそばまで飛んで来るのが、嬉しかったですね。

松山は戦災に遭って、町の大半が焼かれてしまいましたが、庚申庵は奇跡的に被害を免れたそうです。
昭和24年に愛媛県史跡に指定され、平成13年に解体調査と修復工事を行ったのち、平成15年に史跡公園として開園されました。
機会のある方は、ぜひお訪ね下さい。
特に、心が疲れている方には、お勧めです。