> 社会 > 世界事情・社会情勢 > 大坂なおみの会見拒否

大坂なおみの会見拒否

この記事は5で読めます。

5月30日から開催された、テニスの全仏オープンの開幕前に、女子テニスの大坂なおみ選手が、大会期間中の記者会見に応じないと、表明して物議を醸しています。

大坂選手は表明の中で、「人々がアスリートのメンタルヘルスについて、あまり考えていないとよく感じていた」と記者たちへ苦言を呈しました。

そして、「負けた選手をあのような場で問い詰めるのは、落ち込んでいる人を蹴落とすようなもの」と選手の精神状態に及ぼす、無理なインタビューによる悪影響を指摘しています。

大坂選手は、全仏オープンに対して恨みもないし、多くの記者たちとは良好な関係にあるとしており、大会そのもののあり方に対して、一石を投じただけのものだと思います。

しかし、伝統を重んじる人たちから見れば、大坂選手の言動は自分勝手に見えるのでしょう。

彼女の意志を理解するという意見がある一方、彼女は絶対的に間違っていると、決めつけた見方もあります。

また、彼女の考えは尊重するけれど、やはり会見には出るべきだとか、会見も仕事の一部だと述べる人もいます。

大坂選手は罰金を支払うつもりで、会見を拒否しているわけで、言ってみれば、ルールの中での行動です。

ただ、同様の理屈は、お金さえあれば、みんなに合わせなくても構わないと、思われてしまう危険があるでしょう。

大坂選手の会見拒否は、そんな意図があるとは思えませんが、悪いことを考える人は、自分が利用できるような状況を、常に目を光らせて探っているものです。

そういう意味では、もう少し何か他に方法がなかったのだろうかと、考えたくなる人も、少なくないと思います。

それでも、黙っていられなかった。
行動せずにはいられなかった。

と言うのが、大坂選手の心境なのだと思います。

みんな、伝統的な大会の形にこだわり、その視点からの意見ばかりが目立ちます。

でも、本当に大切なのは、そんなことではないでしょう。

伝統的な大会を維持することよりも、選手を一人の人間として扱うことの方が、余程大切なのではないでしょうか。

多くの人は、大坂選手を一人のプロテニス選手として見ています。

ですから、プロ選手としての行動としては、いかがなものかと言う意見が出て来るのです。

しかし、彼女はプロテニス選手として、発言しているのではありません。

立場はプロテニス選手ではありますが、一人の人間として発言しているのです。

彼女が指摘しているような問題を、名前も知られていない、テニス関係者でもない人たちが、指摘したところで、誰が耳を傾けるでしょうか。

また、大坂選手が今の地位にいなければ、今と同じような騒ぎになっているでしょうか。

彼女の発言が注目を浴びるのは、彼女が今の地位にいるからであり、彼女はそれがわかった上で、人として大切なことを、発信しているのです。

今の自分には、他の人に代わって、そういうことを発信できる力を、与えられていると自覚しているからこそ、行動を取っているのです。

いろいろ言われることは覚悟の上で、みんなに考えてもらいたいから、やっているわけです。

プロ選手だから、つらい会見でも行わなくてはならないというのは、誰が決めたことなのでしょう。

同じような理屈で、ブラック企業の仕事をがんばって、ついには自らの命を絶つ人が、どれほどいるのか、わからないのでしょうか。

彼女は対戦相手に対して、常にリスペクトを示しています。

それと同じことを、コート外の人々に対しても、求めているだけだと思います。

彼女の意見に文句を言う前に、彼女が何を言いたいのか、きちんと耳を傾けるべきでしょう。

彼女は決して無茶なことを、言っているわけではありません。

選手に対して、リスペクトを持った応対をするよう、求めているだけでしょう。

大会運営側や、マスメディアの人々が、それに応じれば、何の問題もありません。

彼女は会見に復帰するでしょう。

それなのに、そこを正そうとせず、自分たちは間違っていないという立場を崩さないまま、彼女を非難するのは、とても滑稽に見えてしまいます。

他に状況を改善できる方法があるのなら、それを彼女に伝えてあげるべきですし、彼女が会見拒否をする前に、自分たちで状況を改善するべきだったでしょう。

災害や事件で、大切な家族を失った人に対して、「今のお気持ちは?」と尋ねるインタビュアーがいますよね?

大坂選手が問題にしているのは、その無神経さなのです。

プロテニス選手の立場から、気がついた無神経さに対して、意見を述べただけのことですが、彼女が指摘した問題は、テニスの世界だけでなく、あらゆる所で見受けられることなのです。

現在、日本で行われようとしているオリンピックについても、同じことが言えるでしょう。

オリンピック委員会も日本政府も、日本国民の状況や気持ちなど、全く無視して、オリンピックを開催することにこそ、意義があると言う姿勢です。

そのために、誰が泣こうが騒ごうが、命を落とそうが、関係ありません。

テニスにしても、オリンピックにしても、せっかくの大会を本当に成功させたいのであれば、そこに関わる人々の声に耳を傾け、人々の気持ちを大切に考えることが、何より優先されるべきでしょう。

それを無視してでも、開催するというのであれば、開催の目的がどこにあるのか、ということになります。

今は様々な場所、様々な分野で、既存のやり方や既得権に対して、多くの疑いの目が向けられています。

平和だとか、スポーツの祭典という言葉を利用して、いい思いをしようとしている人たちがいるのを、人々は黙って見過ごすのをやめたのです。

今は大坂選手に対して、厳しい意見も出されているようですが、いずれ彼女が伝えたいことが理解できるようになれば、多くの人たちは、彼女の味方になるでしょう。