想像してみて
想像してみて下さい。
お金がなければ、どんな暮らしになるのかを。
想像してみて下さい。
病気や怪我で、体が不自由になった時のことを。
想像してみて下さい。
歳をとって、一人きりになっている自分を。
想像してみて下さい。
死に瀕している自分を。
何かを想像する時、単なる映像だけでなく、そこに何等かの感情が、付加されています。
たとえば、山を散策している時に、大きなクマに出くわしたと想像すると、クマに対する恐怖感も、一緒に思い浮かぶでしょう。
呼び鈴を鳴らされて、玄関を開けたら、そこに包丁を持った男が立っていた。
ぞっとしますよね。
崖っぷちに立って、下をのぞき込んでいた時に、誰かに背中を押されて、落ちてしまった。
思わず悲鳴を上げたくなるでしょう。
恐怖や驚き、不安などのネガティブな感情が付加することで、想像の世界はとても嫌なものになります。
でも、想像とは自分勝手な設定で、創り上げた世界です。
設定を変えたり、自分が知らなかった情報を、付け加えることで、同じ場面が全然違うものになってしまいます。
たとえば、山で出くわしたクマは、自分が子供の頃から育てたクマで、とても人懐っこく、躾けもできている、クマだとしましょう。
クマを見たあなたは、恐怖を感じるでしょうか。
感じませんよね。
自分を出迎えてくれたクマに対して、喜びの笑みを浮かべるでしょう。
呼び鈴が鳴ったので、玄関に出ると、男が包丁を持って立っていた。
でも、実はその人は包丁研ぎのおじさんで、表で包丁を研ぎ終わったので、終わりましたよと知らせてくれたのです。
全然怖くありませんよね。
どうも、ありがとうございましたと、頭を下げるでしょう。
崖から下に落ちた場面も、実はゲームだったら、どうでしょうか。
のぞき込んでいたのは、スポンジ状の巨大なスクリーンで、落ちると同時に、落ちる時の周囲の情景が、スクリーンに映し出されるのです。
もちろん、これがゲームなのは、落とされる前からわかっています。
わからないのは、いつ突き落とされるかということだけです。
どうですか。
ワクワクドキドキしませんか。
ゲームだとわかっていても、悲鳴を上げてしまうかもしれませんね。
こんな感じで、同じように見える状況でも、そこをどのように見るのか、そこにどのような感情を付加するかで、全く違った世界になります。
これは想像の世界だけでなく、現実の世界でも同じことです。
私たちは自分が知っている情報に基づいて、物事を判断しています。
その情報が間違っていたり、情報量が限られていると、物事を正しく判断できなくなります。
その結果、本当はそんなに不安にならなくてもいいのに、不安に押し潰されそうになったりします。
困った時は、それに応じた動きをすればいいのに、そんな動きはできないと思い込んでいると、文字通り身動きが取れなくなってしまいます。
想像してみて下さい。
お金がなければ、どんな暮らしになるのかを。
想像してみて下さい。
病気や怪我で、体が不自由になった時のことを。
想像してみて下さい。
歳をとって、一人きりになっている自分を。
想像してみて下さい。
死に瀕している自分を。
これらの想像が、あなたにとって不吉に思えるのだとしたら、それはあなたが持つ情報に、問題があるということです。
私たちは世界の全てを、知り得ているわけではありません。
知ったつもりになっているだけです。
何かを嫌だと判断したくなる時、あるいは、物事がうまく行かないと感じている時、自分は知ったかぶりをしているのだと、考えて下さい。
状況が悪いのではなく、自分の持つ情報が足らないのか、間違っているのだと考えてみて下さい。
何故なら、同じような状況でも、笑顔を見せられる人がいるからです。
笑顔が嫌いであるのなら、仕方がありませんが、自分も笑顔になりたいのであれば、笑顔を知る人の情報を、自分も持つようにすればいいのです。
新たな情報を得て、新しい物の見方ができるようになった時、再び想像してみて下さい。
お金がなければ、どんな暮らしになるのかを。
病気や怪我で、体が不自由になった時のことを。
歳をとって、一人きりになっている自分を。
死に瀕している自分を。
状況は同じでも、きっと真逆のイメージが、思い浮かぶことでしょう。