粛々と
粛々と。
この言葉は、政治家が言い訳をする時に、よく使います。
意味は、慌てず騒がず、身を引き締める気持ちで、真剣に厳しい姿勢で取り組む、です。
好い加減な政治家が使うことで、言葉のイメージが悪くなっているかもしれませんが、この言葉自体に罪はありません。
それに、とても大事な意味の言葉です。
嫌なことが起こったり、問題が生じたり、思ったとおりに行かなかったりすると、人は落ち込んだり、うろたえたり、怒り狂ったりと、感情に振り回されてしまいます。
ロボットなどの機械や、コンピュータープログラムが働く時は、予定通りに行かなくなっても、感情的になることはありません。
そもそも感情がないでしょうからね。
やるべきことを、淡々と続けようとするだけです。
ただ、決められたことだけを、行うように設定されていると、問題が起こったところで、動きが止まったままになってしまいます。
どこに問題があるのか、どうしてそうなるのか、と問題を探って修正できるのならば、その作業を済ませて、本来の仕事の続きを始めるでしょう。
その時に、舌打ちをしたり、悪態をついたり、ぶつぶつ不平をこぼしたりは、機械もプログラムもしません。
与えられた作業を、淡々とこなして行くだけです。
人間も同じようにすれば、何か問題が起こっても、そこで身動きが取れなくなったり、追い詰められたりすることは、ないでしょう。
でも、ロボットやコンピューターのようになれと言うのでは、ありません。
人間には感情がありますし、感情は人生を豊かにしてくれる、大切なものです。
ただし、感情に振り舞わされては、せっかくの人生が台無しになってしまいます。
嫌なことがあったと言って、嘆き悲しみ、落ち込み続けていても、何の解決にもなりません。
かえってマイナスの感情が、前進しようとする気持ちを、削いでしまいます。
思いがけない問題が起こったからと言って、いちいちパニックに陥っていても、何もできません。
そういう時こそ、冷静さが求められます。
いろんな感情が湧き上がって来ても、常に機械のような冷静さというものを、心のどこかに据えておくように、心掛けておくといいでしょう。
怒りや悲しみ、恐怖や不安、そんな感情を完全に抑え込むことはできません。
しかし、どこかに開き直った自分というものを、創っておけば、その自分は感情に左右されることなく、物事を冷静に見つめることができるでしょう。
たとえば、落ち込むことがあって、お酒に酔いながら、こんなことをしている場合ではないぞと、自分を戒める心を持つようなものです。
どんなに辛く悲しいことが起こっても、その状況を冷静に見定め、辛さ悲しさ以外の何かを、そこに見つけたり、次に自分が取る行動を決めたりできる、自分というものが必要です。
するべきことを粛々とする。
そんな自分というものを持つことができれば、コロナ騒ぎを含めて、世の中の出来事に振り回されたり、自分に起こった事で右往左往したりは、しなくなるでしょう。