自由と責任
人は自由を求めます。
それは、本来あるべき姿でいたい、という思いがあるからです。
自分がどのような行動を取るのか、それは自分の意思によって決まります。
それが自然であり、当たり前のことです。
ところが、それを他人が邪魔をしたり、自分の都合に合わさせようとすることがあります。
そうなると、自由は失われ、束縛されたように感じます。
それは不自然な状態ですから、とても苦痛です。
その状態が続くと、全てを壊したくなるような、反発心を覚えるでしょう。
物理学でいうところの、作用・反作用の法則と同じです。
抑圧が強ければ、それと同じほどの反発が、生じるのです。
もし反発できなければ、どうなるかと言いますと、自分が壊れてしまうのです。
これも物理学の教えと同じです。
壁を押した時に、壁が押し返しているうちは、作用・反作用の法則が働きますが、壁が弱ければ、壁は押し返すのではなく、壊れてしまいます。
それと同じで、心の弱い人は、強く抑圧されると、心が病んでしまうのです。
それだけ、自由というものは重要ですので、人々は自由を求めようとするのです。
ところが、自由に動くということは、それに応じた結果が生じるわけです。
買い物をする時に、何も考えずに品物を選ぶと、家に帰ってから、腐っていたり傷ついていたりすることって、ありますよね。
カゴに入れる前に、品物をよく吟味すれば、それは避けられることです。
品物をどのように選ぶのかは、その人の自由です。
ただ、その選び方には、それに応じた結果がついて来ます。
自分が好い加減なことをしておいて、その結果に文句を言うのは、お門違いというものです。
選択と結果は、表裏一体なのですから。
何も考えないで品を選んだ結果、傷んだ品を買ってしまったという時、それを全く気にしないのであれば、それでいいのです。
その人は、自分が選んだ結果を、受け入れています。
しかし、品が傷んでいることに気づいた時に、あの店はひどい店だと、不満を言う人は、自分が選んだ結果を、受け入れていません。
全ての行動は、自分で選択したものです。
その結果は、自分の選択が引き寄せたものなのです。
そのことを理解せずに、自由だけを叫ぶ人たちは、ただのわがままなクレーマーと、見なされるでしょう。
また、そういう状態では、人生の喜びを引き寄せることは、不可能です。
人生を堪能するためには、自分の選択に責任を持つ、結果を受け入れる覚悟を持つ、そういうことが大切です。
責任を恐れて、行動を抑えることは、お勧めしません。
それでは、この世界に産まれて来た、意味がなくなってしまいます。
せっかく自動車免許を取ったのに、運転が怖くて車に乗らない、というのと同じです。
もったいない話ですよね。
本当の自由を理解し、自分にとって正しい選択をする。
その結果は、どんなことでも受け入れる。
その姿勢こそが、喜びの人生を創ってくれるのです。