知らぬ間の束縛
縄で縛られたり、部屋に閉じ込められたり、誰かに監視されたり、という束縛は、誰にでもわかります。
自分は束縛されていると憤り、何とかその束縛から逃れようと、努力をするでしょう。
しかし、束縛されているのに、本人がそう思っていなければ、そこから逃れようとはしません。
そんな束縛って、あるのでしょうか。
これはあなたのためですよ、と信じ込まされていれば、何をされても束縛とは思わないでしょう。
また、こうなるのはあなたが悪いのですと、思い込まされても、束縛とは思いません。
自業自得だと思ってしまうのです。
それは、いわゆる洗脳です。
時々、付き合っている相手に、ひどいことをされているのに、そこから逃げ出そうとしない人がいますよね。
そういう人たちも、相手に洗脳されているわけです。
そういう事件は多くの人が、他人事として見るでしょう。
どうして束縛されていることが、理解できないのかと、首をひねると思います。
でも、そうしている自分も、実は知らないところで洗脳され、知らないうちに束縛されているかもしれません。
世の中にある、~でなければならない、とか、~とはこういうものだ、などという常識や慣習は、人々を束縛します。
昔からこうして来たんだ、とか、みんながやってることだ、とか、それが普通だろ、などと言われると、なかなか反論できませんよね。
無用のトラブルを避けるために、相手に自分を合わせる人もいるでしょうし、何の疑いもなく、言われたことを受け入れる人もいます。
しかし、常識とか普通というものは、本来存在しません。
ある物事を、常識や普通と表現する人がいますが、それはその人にとっての、常識であり普通であるだけです。
絶対的な意味で、万人にとっての、常識や普通ということではありません。
何故、そうであるのか。
どうして、そうする必要があるのか。
その根拠をきちんと説明できるのであれば、洗脳ではありません。
しかし、根拠を説明できないとか、誰かに言われたことを、オウム返しに喋るだけの根拠であれば、それは洗脳されていると言えます。
自分で考えているようで、実は何も考えていないのです。
でも、自分で考えていると信じていますから、そこから離れようとしません。
そうして、自ら束縛されてしまうのです。
たとえば、女性は良妻賢母であるべきだ、と言われ続けると、そういう女性になろうと、苦労するわけです。
それが自分の本音でなくても、そうしてしまうのですね。
本音に従って、良妻賢母になることをやめても、自分はだめな人間だと、考えてしまうわけです。
男とは弱音を吐いてはならない、と言われ続けた男性は、そうしようと頑張り続けるでしょう。
でも、誰にも限界というものがあります。
それなのに、限界を超えても我慢し続けようとして、病気になったり、トラブルを起こしたり、死んでしまったりするのです。
親や先生の言うことに従う子供は、いい子だと言われると、子供はそうしようとするでしょう。
でも、子供ですから、従えない時もあるのですね。
そうなると、自分は親や先生を困らせた、悪い子供だと思ってしまうのです。
自分はだめな人間だという思いは、大人になってからも、本人を束縛し続けます。
では、どうすれば自分が洗脳され、束縛されていると、知ることができるのでしょうか。
それは、何か面白くないとか、何もかも嫌になったとか、自分に自信がなくなったとか、将来への不安で一杯になるなどの、ネガティブな想いが見られたら、わかります。
こういったネガティブな想いというものは、抑え込まれた自分の本音からの、警告であり、助けを求める声なのです。
こういう本音からの知らせを察知できれば、何が自分を束縛しているのか、徹底的に調べましょう。
他のことはともかく、これは間違っていない。
だから、これについては、自分の方がおかしい。
とは、考えてはいけません。
どんなに世間で支持されている考えや価値観でも、例外なく疑って下さい。
親や先生、あるいは偉人と呼ばれる人が、述べたことでも同じです。
全てを疑ってかかって下さい。
そして、その考えがなければ、自分は自由なんだと思えるのであれば、その考えに縛られないような、生き方をして下さい。
他人を理解し、思いやることは大切です。
ですから、誰かを傷つけるようなことは、してはいけません。
しかし、それと自分を他の人の価値観に、合わせることとは別物です。
知らない間に、そこを一体化させてしまうので、いつの間にか束縛されてしまうのです。
どんな考えを押しつけられようと、自分がそれを受け入れなければ、自由でいられるのです。
特に日本では、みんなが同じ考えを持つように、求められがちですが、個性や多様性を大切にし、育まなければいけません。
そのためにも、一人一人が自分の思ったとおり、自由な生き方ができるようになる、必要があるのです。