焦点を合わせる
人にはそれぞれ波長というものがあります。
波長の合わない人といると、居心地が悪くなることがあると思います。
波長が合う人といると、テンションが上がることでしょう。
楽しい時には楽しい波長、悲しい時には悲しい波長になっています。
不安な時には不安の波長、怒っている時には怒りの波長です。
人は波長を上げたり下げたりしながら、いろんな波長の自分を体験しています。
ラジオで受信する電波を、いろいろと変えるようなものですね。
テレビやラジオにお気に入りの番組があるように、人は自分が固執したくなる波長があるようです。
固執するからと言って、その波長に合わせていることが、その人にとって快適だとは限りません。
つらく苦しい場合もあるのです。
だったら、そんな波長に合わせなければいいのにと思うのですが、どうしてもその波長に合わせてしまうのですね。
ですから、いつも明るく楽しそうな人、何でも前向きにとらえる人もいれば、 不満ばっかり口にしている人や、不安になることばかり探している人もいるわけです。
この世界には、いろんな波長の人が共存していますので、嫌でも自分とは異なる波長の人の存在を、知ることがあります。
それでも波長が違うと居心地が悪いので、大抵はどちらも互いに一緒にいようとはしません。
でも、あまりに強烈な印象を受けたり、普段とは異なる特別な経験をした時には、他の人の波長をまともにくらい、思いがけなくその波長に囚われてしまうこともあります。
たとえば、誰にでも突っかかって行くような人に、いきなり殴られたり、家族を傷つけられたら、どうでしょうか。
普段は温和で優しい人が、憤って暴力的になるかもしれません。
これは相手の波長そのものであり、思いがけなく相手の波長に、合わせているのです。
戦争や内戦、抗争などの残虐な争いを見せられると、とても不安な気持ちになるでしょう。
また、悲しい気持ちにもさせられてしまいます。
その気持ちから立ち直れたらいいのですが、ずっとその気持ちを引きずってしまうと、本来の波長とは違う波長に、囚われている状態になっています。
ずっと面白くない日々を送っている人が、ある時、優しさに遭遇したとしましょう。
その優しさに心が惹かれ、自分も誰かに優しくできるようになったなら、それも優しさの波長にはまってしまったという事です。
波長が異なると、体験している世界は、人それぞれです。
同じ空間にいても、そこがいいと感じる人と、嫌だと感じる人では、体験している世界が違うのですね。
つまり、自分の波長が変わるということは、体験する世界が変わるということです。
同じ世界を体験しているように見えても、実際は別の世界を体験しているのです。
そして、知らず知らずのうちに、次から次に様々な波長の世界を、私たちは体験しているのですね。
どの体験も学びになるので、どんな波長の体験も否定することはできません。
しかし、自分にとって居心地のいい波長があるのなら、その波長を維持できた方が、快適な人生を送れると思います。
そのためには、自分の波長を知ることが重要です。
よくわからなければ、自分には合わないと思われる波長の世界を、ピックアップしていけばいいのです。
それらの世界を省いていけば、残った世界に自分の波長が合う世界が、あるはずです。
そうして自分の波長がわかったなら、その波長を維持するように心掛けることです。
嫌な波長に注目し、思わず見入ってしまったり、不愉快な気持ちを持ち続けると、その波長に囚われてしまいます。
逆に相手を、自分の波長の虜にするぐらいの気持ちで、自分というものを維持するようにすればいいのです。
そんな人は一般的に、物事に動じないとか、飄々としている、マイペースだ、などと言われます。
世の中がどんな風になっても、自分というものは変わらない。
この姿勢が、豊かな人生には必要でしょう。