あれから10年
東北の震災が起こってから、昨日で10年が経ちました。
復興が進んでいるように見える部分もあれば、未だにあの時のまま、時が止まってしまったような所もあります。
それは土地や建物だけではありません。
人の心も同じです。
前を向いて生きて行くことを、決意した方もいれば、未だに一歩が踏み出せないまま、当時を見つめ続けている方もいます。
同じ状況にあっても、心の傷の深さや、癒やされる速さは、人によって違います。
10年という時の長さを、長く感じる人もいれば、あっと言う間だったと思う人もいます。
立ち直ることができるタイミングは、一人一人異なりますから、まだ立ち直れない人に対しては、見守ってあげることしかできません。
立ち直るというのは、その人自身の決意ですから。
映像を見ると、未だに胸が苦しくなりますが、それでも、あの震災の中に、希望を見出すことはできます。
それは震災が、人々の心を一つにしたことです。
テレビの映像がなければ、どんなにひどい被害であっても、結局は、地方の損害という話で終わっていたでしょう。
ところが、地震と津波と原発の爆発というものを、画面を通して、目の当たりにした人々は、国境を越えて同じ想いを抱いたはずです。
それは、その後、様々な所で起きた自然災害についても、現地の人に対する想いを、呼び起こすことになったと思います。
そして今、コロナ騒ぎで世界中がダメージを受けている中での、震災からの10年です。
10年も11年も変わらないと言えば、そうなのですが、人間にとっては、10年というのは一つの節目です。
その節目が、この時期に重なっていることは、偶然ではないように思えます。
誰が人々に、訴えようとしているのかはともかく、震災から10年という節目と、コロナ騒ぎが重なっているのは、何が大切なのかを忘れるなと、叫ばれているような気がします。
新型コロナで問題になっているのは、コロナウィルスそのものではなく、人間社会の歪みです。
人々の荒んだ心なのです。
そこを理解しないままであれば、たとえコロナ騒ぎが沈静化したとしても、さらなる全世界的なパニック状況が、引き起こされるような気がしてなりません。
私にはこれらの災害が、地球の叫びであると同時に、人類自身の叫びであるように思えるのです。
目の前の状況に、パニックになるのではなく、人々の心、地球の心に気持ちを傾け、自分の心をつなぐこと。
それこそが、今求められていることなのでは、ないでしょうか。