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誰の価値観か その1

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人は誰しもが、何等かの価値観を持っています。

それは生まれてから、これまでの間に、自分が経験したことや、他の人の経験、あるいは自然の変化や、どうしようもない世の中の流れ、などを元にして築かれたものです。

何故、人は価値観を持つのでしょうか。

それは物事を判断する、基準を作るためです。

ある人にとって、いいものでも、別の人にとっては、悪いものであるというようなことって、ありますよね。

たとえば、勝負の勝ち負けです。

 ※David MarkさんによるPixabayからの画像です。

勝負でついた決着は、勝った方にはいいことですが、負けたほうには悪いことです。

もちろん、これは一般的な見方であり、勝ちはしたものの、勝ち方が納得が行かない人もいます。

また、負けはしたものの、そこから得た経験は大きいと、満足する人もいるでしょう。

とにかく、同じ物事に対して、見る人によって評価が分かれるわけで、その評価の基準となるのが、その人の持つ価値観なのです。

この価値観は、本来は自分のためになるものです。

そうでなければ意味がありません。

勝負に勝って嬉しい、負けて悔しいと思うのは、勝負は勝つ方がいいという、判断基準があるからです。

その価値観は、さらなる鍛錬へのモチベーションとなるでしょう。

しかし、勝ち続けてばかりだと、その勝負自体に面白味を、感じなくなるかもしれません。

また、負け続けてばかりでは、もう嫌気が差して、勝負をしたくなくなることもあるでしょう。

そこに、人生とは楽しむためにあるという価値観も、持っていたならば、面白くなくなった勝負はやめて、別のことに目を向けるようになるでしょう。

それは、勝ち続ける人も、負け続ける人も、同じことです。

ただ、勝ち続けたことを、誇りに思う価値観を持っていると、それが次への挑戦の、邪魔になるかもしれません。

また、負け続けたことで、自分を情けない人間だという価値観を持つと、やはり次の挑戦の足かせになるでしょう。

このように価値観というものは、プラスにもなるし、マイナスにもなります。

様々な価値観がありますが、世の中の人の多くが、知らず知らずのうちに身についた価値観に、振り回されているように見えます。

それは価値観というものが、よくわかっていないからです。

 ※SanjasyさんによるPixabayからの画像です。

おぎゃーとこの世に生まれて来た時、私たちは何の価値観も、持ち合わせていません。

真っ白な状態です。

そこで初めに植えつけられる価値観が、その人の人生の基盤の価値観となります。

それは自分自身の経験であるわけですが、物事の判断ができない幼い頃のことです。

幼子にどのように接するか、幼子にどのような環境を与えるか、それは親が決めることですから、親の価値観がそこに表現されます。

そして、それがその子の基盤の価値観になるのです。

それは自分の価値観のようでいて、実は他人である親の価値観なのです。