誰の価値観か その1
人は誰しもが、何等かの価値観を持っています。
それは生まれてから、これまでの間に、自分が経験したことや、他の人の経験、あるいは自然の変化や、どうしようもない世の中の流れ、などを元にして築かれたものです。
何故、人は価値観を持つのでしょうか。
それは物事を判断する、基準を作るためです。
ある人にとって、いいものでも、別の人にとっては、悪いものであるというようなことって、ありますよね。
たとえば、勝負の勝ち負けです。
勝負でついた決着は、勝った方にはいいことですが、負けたほうには悪いことです。
もちろん、これは一般的な見方であり、勝ちはしたものの、勝ち方が納得が行かない人もいます。
また、負けはしたものの、そこから得た経験は大きいと、満足する人もいるでしょう。
とにかく、同じ物事に対して、見る人によって評価が分かれるわけで、その評価の基準となるのが、その人の持つ価値観なのです。
この価値観は、本来は自分のためになるものです。
そうでなければ意味がありません。
勝負に勝って嬉しい、負けて悔しいと思うのは、勝負は勝つ方がいいという、判断基準があるからです。
その価値観は、さらなる鍛錬へのモチベーションとなるでしょう。
しかし、勝ち続けてばかりだと、その勝負自体に面白味を、感じなくなるかもしれません。
また、負け続けてばかりでは、もう嫌気が差して、勝負をしたくなくなることもあるでしょう。
そこに、人生とは楽しむためにあるという価値観も、持っていたならば、面白くなくなった勝負はやめて、別のことに目を向けるようになるでしょう。
それは、勝ち続ける人も、負け続ける人も、同じことです。
ただ、勝ち続けたことを、誇りに思う価値観を持っていると、それが次への挑戦の、邪魔になるかもしれません。
また、負け続けたことで、自分を情けない人間だという価値観を持つと、やはり次の挑戦の足かせになるでしょう。
このように価値観というものは、プラスにもなるし、マイナスにもなります。
様々な価値観がありますが、世の中の人の多くが、知らず知らずのうちに身についた価値観に、振り回されているように見えます。
それは価値観というものが、よくわかっていないからです。
おぎゃーとこの世に生まれて来た時、私たちは何の価値観も、持ち合わせていません。
真っ白な状態です。
そこで初めに植えつけられる価値観が、その人の人生の基盤の価値観となります。
それは自分自身の経験であるわけですが、物事の判断ができない幼い頃のことです。
幼子にどのように接するか、幼子にどのような環境を与えるか、それは親が決めることですから、親の価値観がそこに表現されます。
そして、それがその子の基盤の価値観になるのです。
それは自分の価値観のようでいて、実は他人である親の価値観なのです。