誰のせい 自分のせい その2
運転する車が、道に落ちていた釘を踏み、タイヤがパンクした時、直接的な原因を考えると、それは釘だと言えます。
でも、何故そこに釘があったのかと考えて行くと、様々な原因につながって行き、どれが本当の原因なのか、わからなくなってしまいます。
さらに言えば、どうして自分が釘を踏んでしまったのかと考えると、今のとはまた別の、原因探しが始まります。
たとえば、タイヤが釘が落ちていない所を通っていれば、釘を踏みませんから、パンクもしません。
前を走る車が、ゆっくり走っていたから、いらいらしてその車を、追い越したとしましょう。
その結果がパンクであれば、追い越していなければ、ゆっくり走っていた車が、釘を踏んでいたかもしれません。
家を出た時に、右の道から行くか、左の道から行くか考えて、右の道を選んだ結果が、パンクだったとも言えるでしょう。
これらは全て、自分自身の選択の結果です。
たとえ、釘が落ちていたとしても、自分がそれを踏むような選択をしなければ、タイヤがパンクすることはなかったわけです。
となると、悪いのは自分だったのか、ということになるのですが、こんなことでお前が悪いと言われたら、納得がいかないでしょうね。
そうは言っても、タイヤがパンクしたことには、がっくりします。
いずれにしても、ある物事が起こる場合、そこには多くの事柄が絡んでいます。
そのどれか一つだけを取り上げて、これが本当の原因だと、決めつけることはできないのです。
その物事に自分自身が関わっているならば、自分の決断や行動も、結果を生んだ原因の一つになります。
その場合、何が問題だったのかと考えると、さらにややこしくなるでしょう。
それに、まだ問題が何も起きていない時に、右を行けばいいのか、左を行けばいいのか、そんなことを決めることはできません。
それでも、どちらかを選ぶしかない場合、その先に何があろうと、覚悟を決めて選ぶしかありません。
覚悟を決めるということは、何か問題が起きた時、そこに自分も関わっているという事実を、認めるということです。
それは問題を誰かのせい、何かのせいにするのではなく、自分が選択した結果として、受け入れるということでもあります。
悲惨な結果に、誰かを呪いたくなるでしょうし、自分を責めたくもなるでしょう。
しかし、そんな事をしたところで、起こってしまった事が、元に戻るわけではありません。
そこにあるのは、起こったことを通じて経験した、いろんな思いと様々な思考だけです。
その思いや思考によって、その出来事から何を理解し、物事をどのように受け止めるのか。
そこにこそポイントがあるのです。
その結果次第で、その後の人生が変わるでしょう。
つまり、何かが起こった時、そこから何を学び取るのかということが、何より大切なのです。
原因や責任の追及も、大事だとは思います。
でも、そこにだけ目を向けていたのでは、人としての進歩はありません。
何かのせいにしたくなる時、それは今の自分の現状を、守ろうとする意思が働いています。
しかし、人間として成長するためには、現状から抜け出して、もっと広い視野で世界を眺める必要があります。
何が悪いのかと考えるよりも、ここから自分は何を学ぶのか、という視点を持つことに、重点を置いて欲しいと思います。