仕事の価値
仕事の価値は、何で決まるのでしょうか。
一般的には、得られる報酬や名声によって、決まると言えるでしょう。
お金をたくさんもらえたら、贅沢な暮らしや、気ままな暮らしができるので、多くの人が報酬の多い仕事を求めます。
場合によっては、やってはいけないような事まで、やってしまう人もいます。
同じ仕事でも、報酬が少ないと、人はやりたがりません。
ところが、災害などでひどい目に遭った人が、困っているのを知ると、普通は誰もがやりたがらないような作業を、無償でするのです。
つまり、普段は金銭的価値観に基づいて、仕事の価値を決めているものの、災害などの時には、金銭的価値観は脇に置いて、別の価値観で仕事をするということです。
災害時のボランティアの仕事は、仕事をする方にも、される側にも、とても価値ある作業です。
しかし、金銭的価値観に基づくと、まったく価値のない仕事となるでしょう。
このように、仕事の価値とは、その時の状況、その人の価値観によって、大きく異なるものなのです。
世間の全ての人にとって、絶対的に価値がある仕事なんて、存在しないということですね。
誰かにとって価値があるからと言って、その仕事が自分にも価値があるとは、限らないのです。
ところで、何故ボランティアの仕事は、報酬がないのに価値があるのでしょうか。
それは誰かの役に立つことができたという、人としての満足感があるからでしょう。
これは、とても重要なことです。
人としての満足感が得られなければ、どんなに報酬が高くても、どれほど名声がもらえても、得られる喜びは一時的であり、また深いものではありません。
ともすれば、当たり前になってしまって、喜びすら感じなくなるかもしれません。
一方、人としての満足感が得られたら、それは何にも代えがたいものとなるでしょう。
その喜びは継続され、普段から誰かのことを、考えるようにしてくれると思います。
経済的暮らしのことを考えれば、金銭的価値観に基づいた仕事が、選ばれるのは当然でしょう。
しかし、人として生きることを忘れないのであれば、人としての満足感が得られる仕事を、選ぶべきだと思います。
今の世の中は、お金がないと暮らせない、仕組みになっていますから、ある程度、報酬のことは考えねばならないでしょう。
でも、人としての満足感を捨ててまで、報酬を追い求めたのでは、かえって喜びの薄い人生となってしまいます。
ブラック企業では、口でうまいことを言って、従業員をこき使ったり、頭ごなしに人格を否定するような、脅しをかけたりして、むりやり仕事をさせるようです。
働く人の存在や人間性を、軽視あるいは無視するような職場環境では、人としての満足感など、得られるはずがありません。
こういう企業では仕事そのものが、社会のためにという発想が、ないものだと思われます。
客でも従業員でも、利用できるものは全て利用して、金儲けをするということが、目的なのでしょう。
どれだけの報酬をもらえるのは知りませんが、こういう所は働くに値しないと思います。
人は誰もが、誰かに利用されるために、生まれて来るのではありません。
利用されているだけだと感じたならば、そんな所は、さっさと離れるべきでしょう。
どうせ仕事をするならば、自分にとって、本当に価値のある仕事をするのが、いいに決まっています。
そんな仕事を探すのは、なかなか大変かもしれません。
それでも探していれば、いつかは必ず見つかります。
見つからない場合は、この地域でないとだめだとか、こういう街でないとだめだとか、何か自分で制限や条件を、つけているのではないでしょうか。
一切の制限をつけずに、希望の仕事を探したならば、必ずその仕事に、たどり着けると思います。