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仕事の価値

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 ※Janno NivergallさんによるPixabayからの画像です。

仕事の価値は、何で決まるのでしょうか。

一般的には、得られる報酬や名声によって、決まると言えるでしょう。

お金をたくさんもらえたら、贅沢な暮らしや、気ままな暮らしができるので、多くの人が報酬の多い仕事を求めます。

場合によっては、やってはいけないような事まで、やってしまう人もいます。

同じ仕事でも、報酬が少ないと、人はやりたがりません。

ところが、災害などでひどい目に遭った人が、困っているのを知ると、普通は誰もがやりたがらないような作業を、無償でするのです。

つまり、普段は金銭的価値観に基づいて、仕事の価値を決めているものの、災害などの時には、金銭的価値観は脇に置いて、別の価値観で仕事をするということです。

災害時のボランティアの仕事は、仕事をする方にも、される側にも、とても価値ある作業です。

しかし、金銭的価値観に基づくと、まったく価値のない仕事となるでしょう。

このように、仕事の価値とは、その時の状況、その人の価値観によって、大きく異なるものなのです。

世間の全ての人にとって、絶対的に価値がある仕事なんて、存在しないということですね。

誰かにとって価値があるからと言って、その仕事が自分にも価値があるとは、限らないのです。

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ところで、何故ボランティアの仕事は、報酬がないのに価値があるのでしょうか。

それは誰かの役に立つことができたという、人としての満足感があるからでしょう。

これは、とても重要なことです。

人としての満足感が得られなければ、どんなに報酬が高くても、どれほど名声がもらえても、得られる喜びは一時的であり、また深いものではありません。

ともすれば、当たり前になってしまって、喜びすら感じなくなるかもしれません。

一方、人としての満足感が得られたら、それは何にも代えがたいものとなるでしょう。

その喜びは継続され、普段から誰かのことを、考えるようにしてくれると思います。

経済的暮らしのことを考えれば、金銭的価値観に基づいた仕事が、選ばれるのは当然でしょう。

しかし、人として生きることを忘れないのであれば、人としての満足感が得られる仕事を、選ぶべきだと思います。

今の世の中は、お金がないと暮らせない、仕組みになっていますから、ある程度、報酬のことは考えねばならないでしょう。

でも、人としての満足感を捨ててまで、報酬を追い求めたのでは、かえって喜びの薄い人生となってしまいます。

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ブラック企業では、口でうまいことを言って、従業員をこき使ったり、頭ごなしに人格を否定するような、脅しをかけたりして、むりやり仕事をさせるようです。

働く人の存在や人間性を、軽視あるいは無視するような職場環境では、人としての満足感など、得られるはずがありません。

こういう企業では仕事そのものが、社会のためにという発想が、ないものだと思われます。

客でも従業員でも、利用できるものは全て利用して、金儲けをするということが、目的なのでしょう。

どれだけの報酬をもらえるのは知りませんが、こういう所は働くに値しないと思います。

人は誰もが、誰かに利用されるために、生まれて来るのではありません。

利用されているだけだと感じたならば、そんな所は、さっさと離れるべきでしょう。

どうせ仕事をするならば、自分にとって、本当に価値のある仕事をするのが、いいに決まっています。

そんな仕事を探すのは、なかなか大変かもしれません。

それでも探していれば、いつかは必ず見つかります。

見つからない場合は、この地域でないとだめだとか、こういう街でないとだめだとか、何か自分で制限や条件を、つけているのではないでしょうか。

一切の制限をつけずに、希望の仕事を探したならば、必ずその仕事に、たどり着けると思います。

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