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何かに追い詰められたとき

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 ※Anemone123さんによるPixabayからの画像です。

人生には、追い詰められたように感じるときが、あるものです。

突然の解雇。
明日から、どうやって暮らせばいいのか。

親の期待がかかった受験。
でも、とても志望校には受かりそうにない。

一人前の仕事が求められている。
だけど、自分にはこれ以上、頑張れない。

妻として、母として、嫁として、ずっと頑張って来た。
だけど、自分の人生って、これで終わりなの?

借金取りがやって来る。
一生逃げ回るのは、もう嫌だ。

他にもいろいろ、あるとは思います。

他人から見れば、それほど深刻に見えなくても、本人にすれば、もうだめだと思ってしまうような状況は、少なくないでしょう。

何とか無事に、切り抜けられればいいのですが、本当にどうしようもなくなると、突然爆発したように、何かの事件を起こすかも知れません。

あるいは、逃げ場を求めて、自ら命を絶つこともあるでしょう。

でも、それはどちらも得策とは言えません。

せっかく生まれて来た人生が、台無しになってしまいます。

 ※Dima LysenkoさんによるPixabayからの画像です。

本当にどうしようもなくなった時、爆発したり自殺したりする前に、とにかくその場から離れましょう。

追い詰められた状態では、物事を冷静に考えることができません。

まずは、気持ちを落ち着けるために、場所を移動して、気分を変えるのです。

それから、何故そうなったのかを、分析しましょう。

何事にも原因と結果があります。

自分が嫌な状況に追い込まれたのであれば、必ずそうなる理由があるはずです。

ただ、ここで気をつけないといけないのは、自分は何も悪くないのに、こうなってしまったと考えることです。

人は自分を悪いと思いたくありません。

だから、何かが起こった場合、どうしても誰かのせいにしたくなるのです。

でも、そんな事をしても意味がありません。

自分に嫌なものを引き寄せる所があるのなら、そこを改めない限り、嫌なものから逃げることはできません。

逃げたつもりでも、そこで同じようなことが、再び起こります。

自分が悪かったと認めることは、とても勇気がいることです。

場合によれば、とてもつらい事になるかもしれません。

でも、自分に正す所があるのであれば、正さざるを得ないのです。

ここで、自分の悪いところを素直に認める、いい方法をお伝えしたいと思います。

 ※Janusz SzubaさんによるPixabayからの画像です。

私たちの本質は心にあります。

人間の体を持ち、人間社会の中で暮らしていますから、私たちは自分を人間だと受け止め、人間としての価値観で暮らします。

この価値観は、自らの考えで持つようになるものもありますが、幼い頃から知らないうちに、すりこまれたものもあるのです。

たとえば、男らしく女らしく、日本人らしく、子供らしく大人らしく、年長者らしく。

他にもありますよね。

周りを見ると、みんながそうしているからという理由で、そんなものだと思い込んでしまう価値観は、結構あるものです。

そんな価値観が、物事の良し悪しを決める基準に、なっていることは多いのです。

たとえば、結婚して家庭を持たないと、一人前とは言えない。

こんな考えは、一昔のものではありますが、今でも結構残っていると思います。

いい学校を出なければ、就職先が見つからず、苦労することになる。

これは未だに根強い考え方でしょう。

本当は全員が大学へ進学する必要はないのです。

いい夫や、いい妻でなければならない。

そんな強迫観念的な考えの夫婦生活は、いつか破綻をするでしょう。

こんな歪んだ価値観は、いくらでも人間社会にあります。

正しいかどうかは別にして、これらの価値観は全て、人間が勝手に作ったものです。

人間でない存在からすれば、別にどうってことのないものばかりでしょう。

 ※aha工房さんによる写真ACからの画像です。

アリの整列の仕方や、進む方向の決め方など、アリなりの価値観に基づいたものかもしれません。

でも、そんなのは人間にとっては、どうでもいい事ですよね。

それと同じように、自分は今は人間を体験しているけれど、本当の自分は人間ではない、エネルギー的存在だと、考えるのです。

今は人間としての体験をするために、ここにいるだけだと思えば、世の中に蔓延している常識や価値観を、客観的に見ることができるでしょう。

そこで今回人間を体験している、自分の言動や、集めた価値観の、どこがまずかったのかということを、冷静に見極めるのです。

人間でない自分でいれば、人間の価値観に影響されることはありません。

自分のここがまずかったとなっても、それを恥と思ったり、それで傷ついたりはしないでしょう。

体の具合が悪ければ、悪い所がどこなのかを調べ、見つかれば、それに対処をしますよね。

それと同じで、自分の人間としての言動の、どこが問題であったのかを、ただ調べて改善するだけの話なのです。

 ※かずなり777さんによる写真ACからの画像です。

追い詰められていると感じる場合、自分の価値観が足かせとなっています。

どうしようもない、身動きがとれない、息が詰まる、と考えるのは、そう考えたくなるような価値観を、すり込まれているからなのです。

学校へ行かないといけない、という考えが、絶対に正しいと信じていると、学校へ行けなくなった時に、もうだめだと思うのです。

学校は行かなくてもいいんだよと、誰かに教えてもらうと、追い詰められた感じは、あっと言う間になくなるでしょう。

せっかく見つけた仕事を、辞めるわけにいかないから、上司からひどい扱いをされても、耐えるしかない。

これは自信のなさや、不安による束縛です。

自分にはもっと他の道が、用意されているとわかれば、悩んだりせずに、さっさと転職するでしょう。

とにかく、自分を追い詰めているのは、目に見えている誰かではなく、自分自身の中に巣くっている、歪んだ価値観なのです。

その価値観を見つけて、心の中から摘まみ出すことが、追い詰められたときの対処方です。

人間を体験するのであれば、人間としての醍醐味が何であるのかを、理解しておくと、持つべき価値観を、どのように選別するかに役に立ちます。

人間の醍醐味というのは、限りない好奇心と、自分以外の存在に向ける優しさです。

それによって、深い知性へと導かれ、全ての存在とのつながりが、理解できるようになります。

その理解は、感謝と思いやりという形で表現され、人間体験としては最高の体験ができるでしょう。

 ※Dean MoriartyさんによるPixabayからの画像です。